概要
マイト・ガイの父親。髭を生やしている事でかなり歳をとっている様に見えるが、実は「享年
35歳」と、見た目よりかなり若い。
努力家だが忍の才能には恵まれず万年下忍で、同年代はおろか年下の忍にすらも馬鹿にされ続けていたが、そんなことにはめげない超ポジティブ人間であった。
ことごとく才能には恵まれなかったが、20年かけて唯一「八門遁甲」の技を体得して、惜しみなく息子に伝えた。
最期は任務中のガイ、ゲンマ、エビスの三人を救うべく、たった一人で枇杷十蔵を筆頭とした忍刀七人衆に戦いを挑み、八門遁甲の全てを開放。その引き換えで命を落とす事になった。(後に十蔵の口から、この時にダイが七人衆の内、四人を倒した事がが判明する)
この為、ゲンマやエビスにとっても命の恩人であったといえる。
忍としてはともかく、父親としての偉大さは間違いなく証明しており、息子のガイが八門遁甲を体得し、暁クラスの忍やうちはマダラをも凌ぎ得る超一流の実力者になったのも、生涯努力を通してきたダイの存在が大きく反映したからである。
また、八門遁甲が使えた事からも、体術に関してはそれなりの潜在能力を秘めていた可能性が高く、一流の忍になれない訳ではなかったといえる。当時の忍者は、忍術や幻術の方が重要視されていたのかもしれない…。
ただし、30を過ぎてようやく第八門である「死門」まで開ける様になった事を考慮すると、それより前に八門まで開けるようになったガイや、18歳の年齢時に六門まで開けているリーに比べれば、体術でも才能に恵まれていたわけではなかったと言えなくも無い。
言ってしまえば、才能の壁を努力と不屈の信念でぶち破った偉大なる先人なのである。