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F-84の編集履歴

2016-05-04 21:19:43 バージョン

F-84

えふはちよん

P-47に続き、リパブリック航空機が開発した戦闘機。朝鮮戦争当時の最新鋭ではあったが、MiG-15に空戦能力では劣る。そのかわり搭載力には優れており、戦闘爆撃機としてよく活躍している。その後NATO諸国にも輸出され、西側世界で標準的な戦闘爆撃機として地位を築いた。

XP-84

P-47に続くリパブリック航空機の新たな戦闘機、XP-84の開発作業は1944年に開始された。この機はP-47の胴体を流用し、そのままジェットエンジンを搭載した戦闘機だったので「とりあえず」の生産には向いていた。


だが性能面では見劣りし、また大戦中は現状の戦闘機でも性能面で困る事は少なかったので、一度は設計を破棄し、ゼロから開発をやり直している。


「サンダージェット」

その後刷新された図面で計画は再開され、最初の試作機XP-84は1945年末に初飛行を遂げた。とくに試作2号機では当時の速度記録を塗り替え、高性能ぶりをアピールしている。その後テスト用としてYP-84Aが制作され、そこから実用としたF-84Bが配備されていった。しかし、実際に配備してみると不具合が多く発生したため、続く改良型のF-84C、F-84D、F-84Eと、不具合は解消され、完成度は高まっていった。直線翼のF-84としてはG型が決定版となり、2tにおよぶ搭載力と頑丈さを武器に挑戦半島を駆け回った。


F-84の特徴は、細いアリソンJ35エンジンを採用したことによる、これまた細身の胴体で、当然F-80FJに対抗できる性能のために空気抵抗を少なくし、なだらかにする為のもの。また当時の戦闘機はもちろん発展途上にあり、試行錯誤の繰り返されている段階であったが、このF-84にも試行錯誤は取り入れられている。


主翼は中翼配置となっているが、この桁はエンジンダクト内を通していない。

F-84は初めてエンジンダクトを避けた構造材(メガネ型円框:メガネがたえんきゅう)を採用し、エンジンの効率を落とさぬような設計を実現している。


「後退翼」へ

しかし、いくら戦闘爆撃機としては有用な機だったとはいえ、F-86のような優秀な機が登場した以上、いつまでもこれを生産し続ける訳にはいかない。メーカー的にも、さらなる発展は必要だった。


そこで1949年末、F-84の後退翼化が試されてYF-96Aが試作された。

しかし、後退翼化には操縦性・安定性など多くの問題を生むだけでなく、主翼付け根にかかる荷重にまつわる構造にもかかわる問題をはらんでいるため、そう簡単にはいかない。そして、YF-96にはそうした皺寄せが重量化につながったのだから、それはもう惨めな上昇力に留まってしまうのは仕方のないことだった。


そこで大幅な材料置換が行われ、それに伴って設計や工法にも大胆な修正を加えたF-84Fが登場した。F-84FではエンジンもJ65に換装され、速度性能は向上した。だがやはり重量化は避けられず、数値はF-86をわずかに上回る程に留まった。


また、この後退翼型F-84は偵察機ベースにも使われた。エアインテイクを主翼付け根に移し、機首に偵察カメラを収容したRF-84F「サンダーフラッシュ」である。RF-84Fはエアインテイクの効率が低下したために最大速度は戦闘機型に劣るが、空力的には改善されたおかげで巡航速度には勝る。


実戦とF-84

こうして配備の進んでいたF-84(F-84G)は、1950年から朝鮮戦争に最新鋭機として投入された。

しかし、MiG-15には思うような戦果を挙げることはできず、航続距離と搭載力、そして頑丈さを生かして戦闘爆撃機として活躍した。その搭載力はおよそ2tにもなり、ジェット戦闘機としては初めて核爆弾の搭載を可能にしている。


空戦能力ではF-86に及ばないものの、戦闘爆撃機としての使い勝手のよさは第2線級となっても便利だったようで、各国で50年代の航空戦力を担った。

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