概要
『田村麻呂伝説』によると、平安時代の別の高名な将軍藤原利仁の伝説と融合し、両者を同一人と混同したり、父子関係においたりすることもある。
伝説中の坂上田村麻呂は、蝦夷と戦う武人とは限らず、各地で様々な鬼や盗賊を退治している。伊勢の鈴鹿山にいた妖術を使う鬼の美女である悪玉(鈴鹿御前)と結婚し、その助けを得て悪路王や大嶽王のような「鬼」の頭目を陸奥の辺りまで追って討っている。
物語『田村草紙』、謡曲『田村』、奥浄瑠璃『田村三代記』などが作られ、江戸時代の『前々太平記』にも収録されている。
『鳴子町史』では、延暦八年(797年)に紀古佐美を征東大使に任じ、兵五万余をもって征伐に向かわせて衣川まで進んだが、食料不足と寒気に悩まされて、結果的に阿弖流為(アテルイ)に破られ、数千人の戦死者をだして惨敗した。このことは『日本後記』に示されているが、そこには当時の道が如何に「悪路」だったかが明記されており、アテルイが悪路王と呼ばれた理由ともなっている。