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李明博の編集履歴2016/11/10 19:05:30 版
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概要

1941年生、大阪市在日韓国人の家庭に生まれ、幼少期は「月山明博」(つきやまあきひろ)の通名を名乗った。

終戦直後の1945年に韓国へ帰国。韓国語・英語日本語に堪能なトリリンガル。

高麗大学在学中に学生運動に参加し、日韓基本条約反対運動の幹部として活動し逮捕されたことがある。

卒業後は現代建設に入社、海外事業等で頭角をあらわし僅か47歳の若さで会長職についたことで韓国内で成功した経済人の代表格として知名度をあげる。

1992年に政治家に転身するも、一時期部下の不正資金疑惑で政界を数年離れる。

2002年にソウル市長就任。

2007年に大統領選挙に当選。

経済政策やソウル市長時代から力を入れていた河川の治水事業を重視した政策を打ち出す。

政権末期には(韓国の大統領の政権末期にはよくあることだが)反日色を強めた態度で望むようになり、2012年には天皇に謝罪を要求する発言を行い内外に物議を醸し、日本国内では侮辱的として非難が高まった

また表現規制も強化するようになり、2011年には「児童青少年性保護法(通称アチョン法)」を改定して「児童ポルノには仮想物も含む」との政策を打ち出した。これにより「実際の人物への強姦より実在しない人物のエロ絵を描いた方が刑罰が重い」といった本末転倒な事態が発生し、漫画・ゲーム産業に大きなダメージを与えた。

2013年2月、任期満了により退任。

韓国の大統領は退任後不正を追及されるなどして逮捕されたり死に至る者も少なくないが、長男が家宅捜索を受けたり兄で元国会議員の李相得が彼の在任中に逮捕されるなど周辺の金権疑惑が取りざたされはしたが、本人は今の所珍しく平穏な退任後を過ごしている。

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