防弾チョッキとは、一般的に防具のうち、胴体に着用し飛来する銃弾や爆発物の破片などから人体を保護するものを指す。軍用の他、治安機関、要人の警護、護身用、現金輸送にあたる人員の保護などの民間分野でも使用される。
黎明期のものは、専ら手榴弾や砲弾の破片などから身を守る程度の性能であったが、材料科学の進歩から拳銃弾や小銃弾の防護も出来るようになった。
構造
基本的な構造は軍用、民間用問わず大きく変わる箇所は少ない。
何れも、銃撃に対応するものはセラミックやチタン製の板による硬さをもって銃弾のエネルギーを殺す。
爆弾の破片や爆風に対応するものは強靭な繊維を用いて人体に対するエネルギーを徐々に和らげていく。というプロセスである。
但し、現代においては全く新しいコンセプトの防弾チョッキの研究が進められているので、これらの基礎的原理が過去のものになる可能性は大いにあり得る。
民間用
民間用の防弾チョッキは、極力他の衣服の着用の妨げとならないようにスマートに作られている。
防弾性能は拳銃弾程度のものから小銃弾に対応するものまで様々である。
銀行員や私服警官などが着用するものは、一見すると普通のチョッキと外観が良く似ているものもある。
一方で爆風などへの考慮は全く無いものが殆どである。
軍用
戦場での使用を想定して、かなり短期間での改良が進められる。
特に民間用との大きな違いは、ポケットや装備品の取付具などが備わり、個人装備品の中核を担うようになっている点である。
また、爆風や砲弾の破片などへの考慮がなされ、状況によって追加防弾材を使用することができる。
歴史
黎明期
第一次世界大戦では、歩兵の死傷者のうち砲弾の破片などを受けた物が多数を占めていた。
そこで、小銃の発達によって「無用」とされていた鉄製の兜を軍用ヘルメットとして復活させた。
無論これらのヘルメットは中世の鎧などと異なり、(当時としては)最新の人間工学や冶金工学によって実用に堪える性能を実現させていた。
同時に、胴体への受傷を減らす方法に関しても研究が行われた。
一部では、ヘルメットに使用された鋼材と同じ材質を使用した防弾チョッキが少数使用されたが、何しろ鉄の鎧なので行動を大きく阻害し、不快極まりなく、またそれらを全軍に渡って配備する国力がある国もなかった為全面的な普及には至らなかった。
我が国では、九二式防弾衣という亀の甲羅のような形状の防弾チョッキが開発された。また、国内の篤志家や発明家などが持ち込んだ防弾チョッキが試験場や上海事変などで少数使用されたが、以降全面的に使用される事は無かった。
1950年代〜
アメリカ軍は朝鮮戦争にてM1951ボディアーマーを少数の兵士に試験的に支給した。
これは、ナイロン製の繊維を何層にも重ねたアーマーで銃弾に対しては無力だったが、爆風や砲弾の破片などには有効であった。
ベトナム戦争においてはその気候から着用を嫌う兵士が続出が続出したが、着用の有無による死傷率の関係は明白だったため、軍は着用を義務付けた。
1980年代〜
アメリカにおいては、1965年に開発されたケブラー繊維を使用した防弾チョッキが登場し性能が大幅に向上した。PASGTと呼ばれるこのアーマーは小銃弾の阻止こそなし得なかったが一般的な拳銃弾に対しては効果を発揮するようになった。
日本では、ほぼ同程度の性能のものが1990年代初頭に防弾チョッキⅠ型として採用された。
一方のソビエト連邦においては、合成繊維分野で西側に大きく劣っていた為、チタンを使用した防弾チョッキが開発された。1970~1990年頃に掛けて開発された 6B2 6B3 6B4 6B5は、いずれも布製のベスト内部に細かいポケットを無数に設けて、チタン製の小板を多数挿入するものとした。構造は魚類の鱗に似て、チタン製の小板が少しずつ重なるようにして胴回りを保護するというものであった。
1990年代〜
冷戦の崩壊によってより強度の低い紛争が多発するようになった。
これは即ち、大部隊による大型火砲を用いた攻撃よりも、小規模部隊による襲撃を想定した装備の開発が急務であることを意味した。
アメリカ軍では1991年にはセラミック製のプレートを挿入することで小銃弾への防護を可能としたレンジャーボディアーマーが登場した。しかしながら「レンジャーボディアーマー」の名前のとおり支給された部隊はごく限定的なものに留まった。
1990年代末には一般部隊向けに、プレートを追加することで小銃弾への防護を可能としたインターセプターボディアーマーが開発された。