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ペギー葉山の編集履歴

2017-07-01 07:55:07 バージョン

ペギー葉山

ぺぎーはやま

ペギー葉山(1933-2017)とは、日本の歌手。

概要

本名・小鷹狩(こたかり)繁子(→森繁子)。

東京都新宿区四谷の生まれ。本来は1933年11月生まれだが、お爺ちゃんが出生届を出し忘れたため同年12月生まれにされてしまった。


青山学院中等部→女子高等部(現在は男女混成)卒業。中等部在籍時代は声楽をプライベートで学んでいたのだが、在日米軍向けのラヂオ放送で洋楽に傾倒、女子高等部在学中から在日米軍キャンプにてジャズなどを歌う様になった。さらに渡辺弘が率いていたジャズバンドのスター・ダスターズの専属歌手も勤めた。


青山学院女子高等部卒業から半年以上経った1952年11月に「炎の接吻」という洋楽のカバーソングでレコードデビューを飾る。ただ、このシングルのB面の曲だった「ドミノ」(こちらも洋楽のカバー)の方が有名になってしまった感は否定出来ない。


その後も「南国土佐を後にして」、「爪」、「ラ・ノビア」、「ドレミの歌」などのヒットを飛ばした。

また、歌手以外でも「ウルトラマンタロウ」における、ウルトラの母の地球上での仮の姿や、「ひらけ!ポンキッキ」におけるしつけのおばさんでも親しまれた。

さらに、1965年には大映の二枚目俳優だった(後にヒールもこなすオールマイティープレイヤーに転向)根上淳と結婚、2005年に根上が死ぬまでより添い遂げた。


2017年4月、東京都内の病院で急死。享年83歳。


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