アンドラゴラス三世
あんどらごらすさんせい
「呼んでもいないのに出しゃばるな!」
概要
パルス王国第18代国王。タハミーネの今の夫であり、主人公アルスラーンの父。44歳。
昔からの腹心として大将軍ヴァフリーズを重用している。不敗を誇る武人であり、同時に大陸公路の守護者としての誇りも持ち合わせている。数々の武勲も多く、王としての威厳や風格も、アルスラーンと比べた場合には雲泥の差がみられる(とは言ってもアルスラーンは彼なりの魅力があり、人を引き付ける才覚等がある)。
このように強大な国家の国王に相応しい人物であるが、下記に記す通り、政治や内政には関心が低く、臣下の慎重な意見を中々受け入れないなど狭量なところもある。
息子である筈のアルスラーンには、妻のタハミーネ同様に冷たく接している。妻には何かと接してはいるものの、軽くあしらわれている(というより無視されている)。
戦歴
- 十三歳の時にライオンを倒して獅子狩人の称号を手に入れ、十四歳で戦場で武功を立てて戦士の称号を手に入れたという。これだけなら専制国家によくあるプロパガンダだと言えるかも知れないが、彼の戦歴の本領発揮はここからである。
- パルス歴三〇三年に大将軍としてバダフシャーン公国を滅ぼしている。
- 王位に即位したからは、三一〇年と三一二年に侵攻としてきたトゥラーン王国の軍勢を撃退。
- 三一三年に侵攻してきたミスル王国の軍勢を撃退。
- 三一五年にはトゥラーン、シンドゥラ、チュルクの三国が同盟して侵攻してきたが、これも撃退。
- 荒川版では三一七年に友邦マルヤムに侵攻したルシタニア軍も撃退している。
三二〇年に味方の裏切りと、魔術師一党の大規模な魔術によって、アトロパテネ会戦で大敗するまでは常勝無敗であり、彼の軍の長としての能力は非凡と言わざるを得ない。
指揮官としてだけでなく、個人の戦闘力も相当なものであり、剣術は言うに及ばず、投げ槍、鉄鎖術も身に着けており、いずれも凄まじい威力を発揮している。
地の文では「ヒルメスもダリューンもその気になれば倒すつもりでいた」と書かれており、自身の武力に絶対の自信を持っている。
作者曰く、「ひょっとしたらダリューンより強いんじゃないか」と思わせるように書いているとのこと。
兄弟の争い
アンドラゴラスには兄であり、先王でもあるオスロエスがいたが兄弟仲は非常に良好だった。しかしアンドラゴラスがバダフシャーン公国を滅ぼした時に亀裂が生じる。アンドラゴラスがバダフシャーン公カユーマルスの妃タハミーネに一目惚れした。
アンドラゴラスは褒章はなにもいらないからタハミーネとの結婚を認めてくれるよう懇願した。オスロエスはそれを承認したが、女との浮いた話とは全く縁がなかった弟の心を射止めた女に興味を示し、軟禁されていたタハミーネと出会い、オスロエスも一目惚れしてしまったのである。オスロエスは弟との話をなかったことにし、タハミーネとの結婚を強行しようとした。
だが、これにアンドラゴラスは約束が違うと激怒して兄弟仲が急激に悪化した。やがてオスロエスが病にかかり、アンドラゴラスを王宮に呼び寄せた。その一時間後、オスロエスの崩御とアンドラゴラスの即位が王宮から発表され、その数日後におきた火事でオスロエスの子が焼死すると、アンドラゴラスの王位は絶対的なものとなった。
このようなかなり怪しい経緯で王位を継承したため、彼の王位継承の詳細に関する真偽不明の噂が多数流れているが、アンドラゴラスが武力を背景にパルスに君臨するようになると表立ってそれを口にする者はいなくなった。
国王として
アンドラゴラス三世の即位前から奴隷の扱いが酷い事を除けば、王としてそれなりの人物であった。しかし、彼は政治や内政を軽んじている一方で、戦争といった武力による勝利を好む根っからの武人である。
かつて臣下の1人として採用していたナルサスから提出した改革案も、現状国庫は豊かで外敵の脅威もないため、改革を行って国内の神官や貴族の中に敵をつくる必要はない、と無視している。このことを考えると、武人としては一流だが、政治家としては二流・三流と見られても仕方がないかもしれない。
ただ、こと迷信・占いの類は欠片も信じておらず、父ゴゼルダス2世をカモにしていた占い師と対談した際にその首を斬り飛ばし、そういった類の者たちをことごとく宮廷から追放した現実主義者でもある。(この件に関してはナルサスも高く評価している)
また武人として一流ではあるが、常勝不敗の戦歴を重ねてきているが故に、彼は「前進=勝利」「後退=敗北」という図式が成り立っていると思われる。そのために、部下からの慎重な意見には耳を傾けず、撤退の意見具申も蹴り飛ばすなど固持した(最終的に撤退したが)。この臣下の意見に耳を傾けず、己の道を進んでいく辺りが、息子のアルスラーン(彼はナルサス等の意見に耳を傾け、そこから最終的には決断している)とは対照的である。
第一次アトロパテネの会戦
よく物語開始直後のアトロパテネの戦いの際にダリューンの慎重論を一蹴したり、ルシタニアの罠を見抜けなかったり、軍が崩れているのに退却を渋る振る舞いで「指揮官として無能じゃないか」と評されることが多いが、実は違う。
ダリューンは陣を「ルシタニアがなにか罠をしかけたそうだからエクバターナの手前に陣を敷きなおそう」と進言しているが、一度敷いた陣を払って場所を移動し陣を敷き直すというのは株で例えると「損きり」のようなもので用意していた物資のいくらかを無駄に消費する行為である。
つまり陣を敷き直す場合、無駄に物資を消費してもかまわないと思えるほどの確信が必要となる。
だがダリューンは遠方から遠征してきて土地勘のない連中が罠をしかけるかも程度のものだし、それにアンドラゴラス自身、敵の行動に嫌な予感を覚えたのか偵察を差し向けているが、偵察は「霧が濃いせいで視界が悪いが何の問題もない」と太鼓判を押している以上、陣を敷き直す決断などできるはずもない。
それに劣勢になっても撤退するのを拒んだのは、大陸公路の守護者としての自分の威厳を考えずにはいられなかったためであり、撤退した時に実際に「パルスの軍旗は泥にまみれた。取り返しがつかぬ」とパルス兵が嘆いているところを見ると、一概に間違ってたとは言い難い。