ちなみに、T-6とは第二次世界大戦後に割り振り直された型番で、元々はAT-6であった。
T-6は戦後(1948年)に再生産されて以降の型番で、既に生産されていた機もこれに従って呼ばれた。
『テキサン』とは
基礎練習機BT-9
1934年に陸軍から出された要求に基づいて、当時のゼネラルモータース航空機部門(当時。まもなくノースアメリカン航空機として独立する)が提出した練習機で、単発・単葉、主翼だけ金属製で固定式車輪という、単葉が少々垢抜けて見えたことを除けば、当時としても普通の練習機であった。
この計画書、つまり社内設計書記号NA-16号は、基礎練習機BT-9として採用され、優れた素性や操縦性によって好評を博した。これに手ごたえを掴んだ陸軍はより高度な練習機を求め、これが続くBC-1として完成することになる。
戦闘教習機BC-1
先のNA-16号の設計を改良を加え、射撃練習用に武装を可能とし、車輪も引き込み式にしたNA-26号が基になっており、戦闘教習機BC-1として採用された他、タイ向けの軽攻撃機A-27として輸出されている。これはフィリピンでも駐留アメリカ軍に運用されていたが、大東亜戦争に伴うフィリピン侵攻により何れも破壊された。
高等練習機AT-6
このBC-1にセミ・モノコック構造を取り入れて、エンジンを換装するなどの改良を施した型が高等練習機AT-6(NA-59)である。
AT-6はアメリカ本国で運用される一方、イギリスへ向けて多くがレンドリースされている。イギリスへの供与名はノースアメリカン「ハーバード」といい、増強を急がれるイギリス空軍の飛行士育成に活躍した。
戦後のテキサス人
このT-6は1950年代までアメリカで運用され、その後は新造機・中古機が同盟国向けに供与された。