督戦隊
とくせんたい
概要
督戦隊は様々な国家の軍内部に設立され、すでに古代には、危機的な状況下において(死刑も含めた)懲罰を遂行すべく、きわめて士気・心理的に準備された軍人たちや特殊部隊において始まっていた。いくつかの別名には次のようなものがある。「野戦警察(Полевая полиция)」、「憲兵隊(Жандармерия)」など。第二次世界大戦中のドイツも「野戦憲兵隊(Feldgendarmerie)」を編成した。
きわめて有名なものとしては、労農赤軍におけるトロツキーの督戦隊、ソ連軍におけるNKVD部隊(国境警備隊、国内軍など)が挙げられる。
それを除くと、ロシア内戦の時期に「闇商人」や「投機屋」との闘争を目的に武装された労働者義勇兵も督戦隊と呼ばれていた。
逃亡等が発生しやすい士気の低い兵士が存在する軍隊では必要となるものの、この任務のみを行う部隊は基本的にあまり例を見ない。
この部隊が活動する状況としては以下のとおりである。
などがあげられる。
過去
近代以前では割とメジャーであったとされ、オスマン帝国や絶対王政下のフランスなどで見られたというが、それらの出典は不明。
督戦隊の歴史は非常に古く、歴史家V・A・アルタモーノフ(アルタモーノフ、ヴラジーミル・アレクシェーエヴィチ)はすでに古代には騎兵による督戦隊の存在を指摘している(В. А. Артамонов. Боевой дух Русской армии XV-XX вв. // Военно-историческая антропология. Ежегодник 2002. М., 2002. С.131.)。
そういった兵はすでに古代ギリシアの歴史家クセノフォンの時代には存在していた。紀元前4世紀のその著作『キュロスの教育(Κύρου παιδεία)』において、歴史家は後方の横隊について書き記しており、それはこのように機能するという。
σὺ δέ, ὃς τῶν ἐπὶ πᾶσιν ἄρχεις, τελευταίους ἔχων τοὺς ἄνδρας παράγγελλε τοῖς σαυτοῦ ἐφορᾶν τε ἑκάστῳ τοὺς καθ᾽ αὑτὸν καὶ τοῖς μὲν τὸ δέον ποιοῦσιν ἐπικελεύειν, τοῖς δὲ μαλακυνομένοις ἀπειλεῖν ἰσχυρῶς: ἢν δέ τις στρέφηται προδιδόναι θέλων, θανάτῳ ζημιοῦν. ἔργον γάρ ἐστι τοῖς μὲν πρωτοστάταις θαρρύνειν τοὺς ἑπομένους καὶ λόγῳ καὶ ἔργῳ: ὑμᾶς δὲ δεῖ τοὺς ἐπὶ πᾶσι τεταγμένους πλείω φόβον παρέχειν τοῖς κακοῖς τοῦ ἀπὸ τῶν πολεμίων.
(Ξενοφών, Κύρου Παιδεία/ΣΤ, 3:27)
「己の務めを果たす人間を鼓舞すること、弱気な人間を恐れによって抑制すること、背面で向きを変えようとするもの全員を死によって罰すること、臆病者に敵よりも大きな恐怖を植えつけること」
(クセノフォン『キュロスの教育』第6巻第3章27節)
εὖ δ᾽ ἴσθι, ἔφη, ὦ Γωβρύα, [ἵνα καὶ τοῦτ᾽ εἰδῇς,] οἱ πολλοὶ ἄνθρωποι, ὅταν μὲν θαρρῶσιν, ἀνυπόστατον τὸ φρόνημα παρέχονται: ὅταν δὲ δείσωσιν, ὅσῳ ἂν πλείους ὦσι, τοσούτῳ μείζω καὶ ἐκπεπληγμένον μᾶλλον τὸν φόβον κέκτηνται.
(Ξενοφών, Κύρου Παιδεία/Ε, 2:33)
「人間の集団は、自信に満ちていると、不屈の闘志を抱くものだが、もし彼らが怖気づいていると、数が多ければ多いほど、彼らは恐怖に屈するものである」
(クセノフォン『キュロスの教育』第5巻第2章33節)
ここにクセノフォンは後方横隊の第一義を明確化している。すなわち、集団パニックに陥っていない時に、脱走兵を根本から阻止すること。
第一次世界大戦中の東部戦線では、隊伍の秩序回復のため、ロシア軍の司令部には類似の懲罰手段に頼ることが求められていた。最高総司令部の命令以前には実現しなかったが、前線と軍の指揮官には、この指令に関する非常に厳格な態度が存在していた(指揮官たちの命令――第2軍のV・V・スミルノフ〔スミルノーフ、ヴラジーミル・ヴァシーリエヴィチ〕将軍からの1914年12月19日、および第8軍のA・A・ブルシーロフ〔ブルシーロフ、アレクセーィ・アレクセーエヴィチ〕将軍による1915年7月5日の命令など)。1917年、軍の規律が解れ始めた時、ロシア軍の指揮官たちは再度の規律の回復を求められた。すなわち、この時期には阻止機能も担当する「突撃強襲大隊(ударные штурмовые батальоны)」、「死の大隊(батальо́ны сме́рти)」が広範に配置されていた。
ロシア内戦期における督戦隊
食糧問題において
ロシア内戦期においては、食料その他の備蓄の監視、闇商人や投機との闘争のため特別に編成された部隊が「督戦隊」(もしくはПост、「哨兵」)と呼ばれた。督戦隊は鉄道の駅、波止場、道路のある各都市に出現した。督戦隊の創設は、特に国の工業センターにおいて、混乱や飢餓など、危機的状況のもとに行われた。
1918年1月14日(新暦では1月27日)、ロシア・ソヴィエト連邦社会主義共和国人民委員会議は、レーニンの署名した決議「食糧情勢の改善に関する手段について(О мерах по улучшению продовольственного положения)」を承認し、その中では「物品の流通、穀物の集積及び追放、同時に投機に対する無慈悲な闘争のための、もっとも革命的な前進手段」のため、武装部隊の設立が提起されていた。食料・地方組織によって設立されたそれら部隊の基地には哨兵が配備され、督戦隊の機能を果たした。
督戦隊の適用の実地は、公式には人民委員会議の決議「食糧問題に関する非常全権人民委員について(О чрезвычайных полномочиях народного комиссара по продовольствию)」(1918年5月9日)と、「食糧徴発隊(Продотряд, продовольственный отряд)」の設立に関する全ロシア中央執行委員会の決議(1918年5月27日)の後に合法化された。
明確な組織の不在と、緊迫化する危機的状況で統制を作ることの困難さから、督戦隊の活動はしばしば権力の中央組織の立場に背くような、恣意的な性格を帯びた。
督戦隊の活動における明確な秩序を持ち込んだのは人民委員会議の規定「鉄道および水路上で活動している阻止機能を持つ食糧徴発諸部隊について(О заградитительных реквизиционных продовольственных отрядах, действующих на ж.-д. и водных путях)」(1918年8月4日)だった。それは食糧徴発部隊の鉄道および水道への設置の権利が、食糧問題人民委員及び県の食糧問題部局にのみ与えられることに合意するものだった。督戦隊指揮官は、食糧問題人民委員の機関の、全権委任状を確認する命令書を持ち合わせなければならない。督戦隊は、すべての乗用および軍務車両(国立銀行と郵便車両のみ除外された)を点検することができた。特に非難されたのは、督戦隊の活動が鉄道・水道の流通を妨げてはならないが、極端な場合にのみ蒸気船・列車を差し押さえることを許されたことだったが、その時間は1時間のみとされた。督戦隊は、一人につき20フント(8キログラム前後)という規定の運輸ノルマを超過した食糧を没収する権利を持っていた。濫用への闘争のため、督戦隊指揮官は徴収した生産物に対し、固定価格で支払われる受領証を交付する義務を負った。督戦隊は食糧徴発軍の部隊から補充され、督戦隊の人員は通常は5人から15人の範囲に定められていた。
1919年5月以降は、食糧徴発軍の部隊と督戦隊は共和国国内警備軍の組成に入り、1920年9月以降は共和国国内勤務軍の組成になった。1921年1月19日、国内勤務軍と督戦隊は陸海軍人民委員部へと引き渡された。
まだ1918年12月には、食料人民委員部の部隊と県の食糧委員会を除き、食料人民委員は全督戦隊の解体について提議を行っていた。しかし、食糧問題人民委員を除いた全権力機関に対する督戦隊の設置と、食料品の徴発の明確な禁止は、人民委員会議に1920年7月29日に採択された。
督戦隊はネップ(新経済政策)が採用された1921年後半に解体された。
大祖国戦争
独ソ開戦後の1941年6月27日、ソ連国防人民委員部第三局は、戦時下におけるその機関の活動に関し、第35523指令を発布した。その中では、以下のことが特に見積もられた。
Организация подвижных контрольно-заградительных отрядов на дорогах, железнодорожных узлах, для прочистки лесов и т. д., выделяемых командованием с включением в их состав оперативных работников органов Третьего управления с задачами:
(道路、鉄道の分岐点において、木々その他を切り払うため活動する統制・阻止諸部隊は、命令により、第三局の局員たちの、その組織構成への加入によって配備され、彼らは以下の課題を伴う)
а) задержания дезертиров;
(а. 脱走兵たちの拘束)
б) задержания всего подозрительного элемента, проникшего на линию фронта;
(б. 前線に浸透したすべての疑わしい分子の拘束)
1941年7月19日発の、NKVD命令第00941号によって、師団・兵団の特別支隊に関する命令で独立狙撃兵小隊が、軍に関する命令で独立狙撃兵中隊、方面軍に関する命令で独立狙撃兵大隊が編成され、NKVD部隊の勤務員によって補充された。
Инструкция для особых отделов НКВД Северо-Западного фронта по борьбе с дезертирами, трусами и паникёрами
(脱走兵、臆病者、パニック扇動者との闘争について、北西戦線のNKVD特別支隊のための指令)
第4項
Особые отделы дивизии, корпуса, армии в борьбе с дезертирами, трусами и паникёрами осуществляют следующие мероприятия:
(脱走兵、臆病者、パニック扇動者との闘争における師団、兵団、軍の特別支隊は、次の処置を遂行する)
а) организуют службу заграждения путём выставления засад, постов и дозоров на войсковых дорогах, дорогах движения беженцев и других путях движения, с тем чтобы исключить возможность какого бы то ни было просачивания военнослужащих, самовольно оставивших боевые позиции;
(а. 独断で陣地を放棄した軍勤務者が潜入する、いかなる可能性も排除するため、軍の途上、難民の途上、その他の運行の路上への伏兵、哨兵、巡察兵の配置により、阻止の任務を組織化する)
б) тщательно проверяют каждого задержанного командира и красноармейца с целью выявления дезертиров, трусов и паникёров, бежавших с поля боя;
(б. 差し押さえた指揮官および赤軍兵士の全員を、戦場から逃走した脱走兵、臆病者、パニック扇動者の摘発のため精査する)
в) всех установленных дезертиров немедленно арестовывают и ведут следствие для предания их суду военного трибунала. Следствие заканчивать в течение 12-часового срока;
(в. 明らかになったすべての脱走兵はただちに逮捕され、軍事法廷へ引き渡すため審問が執り行われる。審問は、12時間の期限で完了するものとする)
г) всех отставших от части военнослужащих организовывают повзводно (поротно) и под командой проверенных командиров в сопровождении представителя особого отдела направляют в штаб соответствующей дивизии;
(г. 軍勤務者の持ち場に遅延したもの全員を小隊ごとに〔中隊ごとに〕編成し、検査済みの指揮官の指揮の元、特別支隊の代表に伴われて、適応する師団の司令部へ送り出す)
д) в особо исключительных случаях, когда обстановка требует принятия решительных мер для немедленного восстановления порядка на фронте, начальнику особого отдела представляется право расстрела дезертиров на месте. О каждом таком случае начальник особого отдела доносит в особый отдел армии и фронта;
(д. 特殊な例として、状況が前線の秩序の即時回復のための決定的な手段をとることを求める場合、特別支隊の指揮官には、脱走兵をその場で射殺する権利が認められる。そのような場合のすべてについて、特別支隊の指揮官は軍および前線の特別支隊へ報告する)
е) приводят в исполнение приговор военного трибунала на месте, а в необходимых случаях перед строем;
(е. その場での軍事法廷の判決の執行、必要な場合は隊の前での執行)
ж) ведут количественный учёт всех задержанных и направленных в части и персональный учёт всех арестованных и осуждённых;
(ж. 差し押さえられたものと部隊へ振り向けられたもの全員の人数調査、また逮捕されたものと有罪を宣告されたものの個人の調査を行う)
з) ежедневно доносят в особый отдел армии и особый отдел фронта о количестве задержанных, арестованных, осуждённых, а также о количестве переданных в части командиров, красноармейцев и материальной части.
(з. 毎日、軍の特別支隊および前線の特別支隊へ、差し押さえられたもの、逮捕されたもの、有罪判決を受けたものの人数について報告し、また引き渡された数について、指揮官、赤軍兵士、および機材の部隊へ報告する)
捕虜になるか敵に包囲された赤軍勤務者の精査のため、1941年12月27日発の国防委員会の決定第1069号によって、すべての軍に報告・留置所、そしてNKVDの特殊ラーゲリが設置された。1941年から1942年には、27の特殊ラーゲリが創設されたが、審査や検査済みの軍勤務者の前線への発送の関係から、それらは段階的に閉鎖された(1943年の最初には、全部で7つの特殊ラーゲリが運営されていた)。公式の情報によると、1942年には特殊ラーゲリに17万7081人の軍勤務者および包囲された人々が入れられていた。審査の後、NKVD特別支隊によって赤軍へ15万521名が引き渡された。
1944年10月29日、前線における状況の重要な変化の関係で、国防人民委員I・V・スターリンの第349命令によって督戦隊は解体された。直接勤務していた者たちは狙撃兵部隊へと補充された。