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キュロスとはギリシャ語形「キューロス」に由来する呼び方で、古代ペルシャ語では「クーロス」という。


アケメネス朝6代王ダレイオス2世の息子(小キュロス)と区別して大キュロスともいう。一代にして大国を築いた事からキュロス大王とも呼ばれる。

概要編集

メディア王国の属国アンシャンの王家の人間で、キュロス1世は彼の祖父である。

そのままアンシャン王に即位したが、母の祖国でもあるメディア王国に反旗を翻した。

メディア王アステュアゲスに恨みを抱いていたハルパゴスの助けもあり、メディア王国は終焉を迎える。

ハルパゴスは引き続きペルシアの将として活躍した。


一万人からなる精鋭部隊「不死隊」を率いてリュディア王国を攻め、一度は引き分けつつもその年のうちに陥落させてしまう。リュディア王クロイソスを当初は処刑するつもりであったが、彼がアポロンに助命を懇願すると奇跡が起きたのでキュロスはこれを思いとどまったという。


リュディアのあとはエラム、さらに新バビロニア帝国までも倒した。バビロニアを倒したキュロスは、「諸王の王」を名乗り、帝国に強制的に移住させられていた諸民族を解放した。

その中にはユダヤ人もいた、キュロスは一神教徒である彼らにも寛大な態度で応じたため、旧約聖書ではキュロスを指してメシア(油を注がれた者、受膏者、救世主)とまで呼ばれている。

なおメシアという言葉は旧約聖書では人に限らず祭壇や無発酵パンなど、油で聖別された物も指すため必ずしも救世主という意味ではない。


「キュロスの円筒印章」には当時キュロスが敷いた、圧政ではない寛大な統治について記されている。


中央アジア方面にも進撃し、アケメネス朝ペルシアはキュロス一代で広大な地域を支配下に納めた。

家族構成編集

カンビュセス1世とマンダネとの間に生まれる。


めとった妻はカッサンダネ(カッサンダン)ただ一人であった。

評価編集

イラン人からはペルシャの建国者とみなされている。キリスト教世界においても旧約聖書を経由して比較的良い印象で知られており、彼に由来する「サイラス」という人名がある。


クルアーン』に登場する「双角王(ドゥル=カルナイン、ズルカルナイン)」はイスラム世界においてイスカンダルアレクサンドロス大王)とされてきたが、近年になってキュロス2世とする異説も現れてきている。

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