ペルセポリス
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ぺるせぽりす
アケメネス朝時代に建てられた宮殿の遺跡。または漫画のタイトル
アケメネス朝の王・ダレイオス1世により建設が始められた宮殿。ペルセポリスはギリシャ語で「ペルシア人の要塞」の意。ペルシャ語では「タフテ・ジャムシード(ジャムシード王の玉座)」と呼ばれる。
クセルクセス門やアパダーナ(謁見の間)や中央宮殿、百柱の間(王座の間)など壮大な建築物が並び、アパターナでは、新年に属国からの貢ぎ物を受け取り、新年の祭儀が行われた。アパターナにはかつては、36本の柱に支えられたレバノン杉で造られた屋根が掛かっており、その広大な空間を見渡しながら、使者を謁見していた。
アパターナの東階段には、当時の謁見の様子を描いたレリーフがあり、当時の様子を彷彿とさせる。また、描かれた使者は西はリビア、東はガンダーラに及び、その広大な範囲に及ぶ影響力を誇示している。
アケメネス朝は副都制を採っており、ペルセポリスともうひとつの首都としてスサが置かれた。役割としてはスサが政治的な機能を持っており、こちらは王族の住まう王宮としての意味が強かった。
また、前述のように宗教的・国家的な儀式が行われ、アケメネス朝の神権性を誇示する場でもあった。
紀元前518年から3代60年に渡り建設が続けられた。宮殿は歴代王により建て増しされ、最終的に東西300m、南北450mに及ぶ広大なものとなった。
しかし、紀元前330年にアレクサンドロス大王(アレクサンドロス3世)率いるペルシア遠征軍により焼き払われ、廃墟と化した。
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