概要
今でこそ日本各地に道路が整備され、トラック輸送が幅を利かせている時代だが、かつては現金の輸送も鉄道の役割だった。
その現金輸送のために1948年に6両作られた。元々はマニ34と名乗っていたが、1970年にマニ30と改名した(以後、便宜上初代とする)。
その後1978年から1979年にかけて、元々の6両の置き換え用として6両、続番という形(2007-2012)で作られた(こちらを2代目とする)。
ただし、初代はオハ35系戦後型を、2代目はオハ50系を、それぞれベースとしているため、外見はかなり異なる。ただし、製造時期の近い、他の一般的な荷物車(マニ32→スハ32系またはオハ35系、マニ50)と極めて似通った外装をしている。
当然ながらこれは一種のカモフラージュである。
スペック
現金を運ぶ時は「容箱」というプラスチック製のケースに入れられて運ばれた。容箱を積むための扉に付いている鍵は内側からしか開けられない。
また、現金は普通の荷物などと異なり、「大丈夫だって、安心しろよ!(容箱を)パパッと積んで、終わり!」というわけにも行かないので警備員室も設けられている。窓ガラスは防弾ガラス製だとか。
警備員の長時間乗務(この乗務は「勤務」ではなく「任務」の性格のものである)に対応できるように、A寝台相当の寝台設備(2代目のみ)とグリーン車レベルの座席(ただし初代は元々はB寝台相当の寝台設備だった)、簡単な調理ができる台所まで設けられていた。なお警備員室には冷房まである(が、初代に関しては元々は設置されていなかった)。
車掌室はあるが、荷物室は分断されており、車掌が荷物室に入ることは基本的になかった。
メイン画像の通り、片方の車端は荷物室になっており、車掌室を荷室から分断するほどであるから貫通扉などのたぐいは一切ない。推進運転のある上野~尾久を経由するルートについては、車両の向きに注意が払われた。
車両は国鉄に車籍を有していたが、保有は日本銀行であり、私有貨車と同じ扱いをしていた。
運用
国鉄時代は荷物列車や急行列車に連結されることが多かったが、JRへ継承後は高速貨物列車に連結されるようになった。民営化後の車籍はJR貨物である。