板橋しゅうほう
いたはししゅうほう
日本の漫画家。アメコミを流行らせた第一人者。
来歴
大学在学中であった1976年(昭和51年)、アニメ雑誌『月刊OUT』誌上にてデビュー。SFアクション漫画を得意とする。
1981年(昭和56年)には少年向け漫画雑誌『週刊少年ジャンプ』(集英社)で発表した「いたはししゅうほうとアルゴノウツ」名義作品「ラッキールートへランナウェイ」で第21回手塚賞準入選を受賞している。
2014年以降、SYUFO名義でウェブコミックを中心に作品を発表するほか、板橋しゅうほう名義で京都精華大学マンガ学部マンガ学科および大学院マンガ研究科の教授も務めている。
人物・エピソード
- 幼少期に図書館に務めていた祖父母が展示されなくなった洋書の絵本やアメリカンコミックを持ち帰っていたことから、日本の漫画よりアメコミに親しむようになった。
- イラストレーターの開田裕治やキャラクターデザイナーの久保宗雄は大学時代の同級生であった。『スパイダーマン』や『バトルフィーバーJ』への参加は企画者104へ入社した久保からの繋がりによるものであった。
- 大学時代は自ら初代部長となって漫画研究会を設立し、黎明期のコミックマーケットに同人誌を出品していた。この同人誌をみのり書房に務めていた聖咲奇が購読していたことがきっかけで、同社の雑誌『オカルト時代』のイラストを担当するようになり、デビューへとつながっていった。
- 『ベイルココーン』の連載も『月刊OUT』の創刊に際して聖から声をかけられたことによる。大学卒業を控えていたため3回程度のつもりであったが、連載が続いたことから執筆のため上京することとなった。
- 1980年頃に体調を崩し東京から関西の実家へ戻った。その後も漫画家としての活動は続けたが、東映でのキャラクターデザインからは離れることとなった。
イラスト
- 『ファンタスティックTVコレクションNo3 科学忍者隊ガッチャマンPART2』(朝日ソノラマ 1978年8月1日発行)。書き下ろし絵物語「嵐を呼ぶミイラ巨人」を収録。
- 『エキセントリック・サウンド・オブ・スパイダーマン』(『スパイダーマン』サウンドトラックLP)ジャケット。CDでは著作権上の問題から、表面は楽譜の写真に、裏面は番組のタイトル画面の画像に差し替えられている。
- 『組曲 バトルフィーバーJ』(『バトルフィーバーJ』サウンドトラックLP)ジャケット。のちに『バトルフィーバーJ MUSIC COLLECTION』のジャケットにも流用されている。
ゲーム
- ダウンロード2
- ランニング・ハイ
- キャロル・ザ・ダークエンジェル
関連タグ
ペイルココーン ラッキールートへランナウェイ エイリアンクラッシュ パパキングママジェット DAVID Hey!ギャモン アイ・シティ セブン・ブリッジ 凱羅 -妖都幻獣秘録- FUNKY GUTSMAN! グランドメーカー That′s 荒神 シルベスター 妖術本舗 SLICK STAR ヘクトパスカルズ