CV:赤尾ひかる
概要
ドラマの役作りのため、病院に勉強に来ていた薬師寺さあやが出会った女の子。
年齢は明記されていないが保育園に通っているので未就学児童であるようだ。
母・あゆみ(CV:西田望見)が出産を目前に控えており、父(CV:岡井カツノリ)と共に付き添っている。
大人が感心するくらいにしっかりした聞き分けの良い性格の子で、騒いでいたはなに対して「病院で騒いじゃいけません」と注意するくらいである。母親の出産のために力になろうと考えている健気な姿はさあやの心を揺り動かした。
……が、あやが待合室で静かに読んでいた絵本が逆さまだったことから、さあやは「あやは何か切羽詰まっているのでは」と直感的に感じ、彼女を子供扱いせずに真正面から本音を教えて欲しいと問う。
そしてあやが話してくれたことは、自分の母親があまりしっかりしておらず結構がっかりしていること、それでもお母さんが大好きなこと… こんなお母さんを好きなのは自分くらいということに幼いながらも優越感があったのか知れない。愛することも愛されることも自分が独占していた母親が、弟の誕生によって自分のものではなくなってしまうような気がして、あやは不安に苛まれていたのだ。
(ちなみに母親の方にも自分が子育てをあまり上手にこなせていないことへの自覚があり、我が子への申し訳なさをずっと持ち続けていた。そこに今回の第二子の出産が自然分娩ではなく帝王切開にならざるを得なくなったことで「自分はやっぱり母として失格だ」と罪悪感を感じるまでになっていた。今回の話は子の不安と母の不安を同時に描く二重構造になっており、TVの前の子供たちと一緒に見ている親からすればなかなか重いテーマになっていただろう)
「弟なんていらない」と泣きじゃくるあやを、「ママはいつだってあやちゃんのことが好き。ママは赤ちゃんに会うために頑張ってる、あやちゃんもお姉ちゃんになるために頑張ってるけど、悲しくなるまで我慢することないんだよ」と優しく抱き締めて励ます。
さらに「なかない、なかない」とよちよち歩きで寄ってきたはぐたんを見て、赤ちゃんは可愛いものだということを理解できたあやは、手術直前の母親に抱きつき自分がさみしかったことをちゃんと伝える。だけどこれは今から弟を産もうとする母親への応援でもある。その姿に母はあやへの申し訳なさを感じると同時に、自分がやってきたこと、そしてやろうとしていることは間違いではなかったと自信を回復させる。
そのこともあってか手術は母子ともに健康なまま成功。あやは生まれた弟に「お姉ちゃんだよ」と笑顔で語り掛けるのだった。
そしてあやは、「さあや先生、遊んでくれてありがとう!」と笑顔で感謝を述べる。先生と呼ばれたさあやは自分は本物の医者じゃないと弁解しようとしたが、あやの笑顔を見ていると何も言えなくなってしまった。
この経験はさあやの未来に対して何かを残したようである。
補足
「計画帝王切開手術に臨む母娘の葛藤」という難解なテーマを取り扱った第35話だが、その攻めた内容に関する反響は大きく、Twitterでは一時「帝王切開」というワードがトレンドに上がるほどであった。
この話は上述の通り母と子の思いを個別に描く二重構造の話になっており、「子供の寂しい気持ち」については従来のプリキュアシリーズ通りの子供にも感情移入しやすい丁寧な演出になっていたが、「出産に関する母の不安」を描くシーンについては完全に親向けのメッセージに寄った作りになっていた。そもそも帝王切開とは何かと言うことを一切説明していないのだから、プリキュアのメインターゲットである未就学児童に対しては理解しようがないだろう。
だからこの話は、TVの前の子供達が親に対してこれらのシーンの意味を訪ねてくるであろうことを前提にしている。そして母親達にはその問いに対して我が子とちゃんと向き合って欲しいということが問われている。
実際に娘と同時に視聴していた母親からと見られる書き込みも多く、「ウチも1人目は自然分娩で女の子、2人目は逆子の帝王切開で男の子だったから気持ちは痛いほど分かる」「『逆子』を理解できない幼い娘さんが絵本を逆さに読んでるとこでグッときた」「昨日のプリキュアでだいぶ理解が進むといいな~って感じです」等々のコメントが寄せられた。
一方、「『帝王切開』にそんなネガティブな先入観があるとは思わなかった」「『帝王切開は立派なお産』ほんとその通り。 今日のプリキュア全人類に観て欲しい」などの意見も見られ、現実世界にも少なからぬ影響を与えていたと言っても過言ではないものと思われる。
ちなみに帝王切開に対するネガティブな先入観だが、母性神話(簡単に言うと『女性は誰でも自己を犠牲にして無条件に子供を愛し育てられる』という思想)の裏返しとして確かに存在する。
「女性はお腹を痛めて子供を産む。死ぬほどの辛さと苦しみを子供のために耐え抜くなんて、これこそ無償の愛だ」と礼賛されるのなら、その裏側には「お腹を痛めずに手術で産んだ子供に愛なんて注げるわけがない」という差別意識が少なからずくっついてくるということだ。
実際のところは、痛いのが嫌だから帝王切開するよりも自然分娩では危険なので帝王切開せざるを得ないという状況の方が大多数なのだが、それはそれで「昔の時代ならこの世に産まれることができなかったような、未熟な子供を産むことになる」という不安なイメージにつなげてしまう人は結構いる。
もちろんこれらは無理解と偏見からくるもの(そもそも出産に際して物理的な痛みを伴わない父親に対する侮辱)であるが、「自然分娩した母親が帝王切開した母親を見下す」というマウンティングはママカースト内では残念ながらよく見られる光景でもある。
同じような例として「ミルク育児は母親失格」「母親は働かず家事育児に専念すべし」などの思想もあるが、実際どうなのかはここまで観てきたプリキュア視聴者なら自ずと分かるだろう。
ちなみに今回の話に先駆けて放映された第27話は内富士先生の奥さんの出産を扱う話になっており、今回と同じ病院を舞台に「お腹を痛めて産むことの意味と尊さ」を描いていた。その話で単純にイイハナシダナーで感動させといて、2ヶ月の時間をおいてその感動の裏側に偏見と無理解がないかと問いかけにきたことになる。その意味でも色々と攻めた話だったと言える。