曖昧さ回避
史実
伊8とは旧日本海軍所属の潜水艦、伊号第八潜水艦(いごうだいはちせんすいかん)の略称。
太平洋戦争開戦時の所属は第六艦隊・第三潜水戦隊。潜水母艦・大鯨を旗艦とする潜水艦隊の所属であったが、同潜水戦隊に所属する潜水艦の中で唯一、どの潜水隊にも所属しておらず、司令潜水艦として運用されていた。
そんな折、1942年5月6日にルオット島にて味方のはずの一式陸上攻撃機から誤爆を受け、4ヶ月もドック入りするハメになる。
しかし、それが厄落としとなったのか、1943年6月1日から従事したドイツへの海外派遣任務を作戦に参加した計4隻の潜水艦の中で唯一成功させ、ドイツに酸素魚雷や天然資源類を供与する代わりに、U1224(いわゆるUボートの一隻。呂501と改名された)をはじめ、ディーゼルエンジンや電波探知機、そして彼女に装備される事になる20mm4連装対空機銃を得る。
海外遠征任務の終了から数か月が経過した1944年1月25日にはインド洋にて通商破壊任務に従事するが、同年の3月26日には撃沈したオランダ船籍の貨物船ティサラックの生存者を救命ボートごと射撃を行い殺害したり、アメリカ海軍の輸送船ジーン・ニコレットの生存者を甲板に引き上げ撲殺するなどの国際法違反を犯し、戦後に軍事法廷で裁かれる事になる。だが、これらの虐殺行為がドイツのヨアヒム・フォン・リッベントロップ外相を通じての要請であった事や、当時の艦長が終戦直後自決して責任があやふやになった事もあり、刑罰も数人の責任者が重労働を言い渡された程度に留まっている。
終戦5ヶ月前の1945年3月31日未明、沖縄本島沖にてアメリカ海軍の駆逐艦ストックトンおよびモリソンに捕捉され、爆雷攻撃により潜航不能に陥る。対する伊8も浮上して反撃するも、14cm連装砲と艦橋に直撃を受け大破。夜の水中に消える最後の最後までドイツから持ち帰った20mm4連装対空機銃は火を吹き抵抗を続けた。生存者は向井隆昌二曹ただ一人のみとなった。