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オトの編集履歴

2019-05-22 22:03:09 バージョン

オト

おと

第7代ローマ皇帝。「四皇帝の年」の三人目の皇帝。

MARCVS OTHO CAESAR AVGVSTVS

本名マルクス・サルウィウス・オト
スペルMARCVS SALVIVS OTHO
皇帝名マルクス・オト・カエサル・アウグストゥス
スペルMARCVS OTHO CAESAR AVGVSTVS
権力ガルバから奪う
統治69年1月15日 – 69年4月15日(3ヵ月)
生没32年4月25日 エトルリア(イタリア本土)- 69年4月15日・自害(37歳)
崩御69年4月15日・自害

概要

第7代ローマ皇帝。四皇帝の年として知られる内乱期の皇帝の一人。

ローマの上流階級サルウィウス氏族の生まれ。ユリウス・クラウディウス朝最後の皇帝ネロとは友人であった。


58年にそれまでオトの妻であったポッパエナ・サビナをネロが寝取り、その後オトはネロからルシタニア(ポルトガル)に総督として赴任の命を受けた。この伝承を妻ポッパエナを自身の出世のためにの裏取引にしたと解釈する者もいる。


ガルバ軍の副官となる。

68年にネロに対するクーデターがオトの近隣の属州を担当するガルバの軍団からも起こった。オトはガルバと同盟を結び、自身はガルバの副官となった。


オト、ガルバを裏切る

自殺に追い込まれたネロにかわってガルバが皇帝に即位する。しかしガルバの政治は軍の怒りを買い、ウィテッリウス将軍がさらにクーデターを起こす結果となった。


オトはといえば、かつて同盟を結んだガルバがオト以外の後継者擁立の動きを見せるに至りクーデターを挙行、ガルバを殺害しガルバ派を粛清した。その後新たな皇帝に即位する。


ウィテッリウス将軍に敗れる

皇帝となったオトはウィテッリウスと共同統治などを呼びかけて武力衝突を避けようとしたが、ウィテリウスはこれを聞き入れなかった。

オトはやむなく軍団を動かしウィテッリウス軍団と対峙することを決意した。


オト自害

オト軍団とウィテッリウス軍団はイタリアのクレモナで衝突し、結果ウィテッリウス軍団が勝利した。


敗北したオトは意気消沈し自ら剣で胸をさし自害した。あくまで緒戦の敗北であり、その後の戦争の展開が未知数であるタイミングでのこのオトの潔い死にざまは、衝撃と感銘を与えた。ローマ軍将兵やローマ市民の中にはオトに続いて殉死する者もいたという。


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