差別的呼称としての「葡萄酒」
日本にワインの製法がもたらされたのは明治に入った19世紀末。だが、製法とともに持ち帰られたヨーロッパ種のワイン醸造用ブドウが病気で壊滅してしまう。
「キリストの血」にも例えられる聖なる飲み物とされるワインはヨーロッパに於いてはその製法を厳守することは一種の儀式であり、また当時は糖度が低い生食用ブドウはそもそもワイン醸造に適さないと思われていた。
ところがそんな事は知ったこっちゃねぇ日本人、「……じゃあ、あるものを使っちゃえばいいんじゃね?」とばかりに、日本の古典的な生食用ブドウ「甲州」を使ったワイン醸造を始めてしまう。
特に大東亜戦争中の軍需的要求からの大量生産がきっかけとなって全国に知られるようになったが、一方で生食用ブドウを使うことからヨーロッパワインに比べて評価は不当に低く、日本人も輸入物の「ワイン」と、国産の「葡萄酒」と使い分けてすらいた。
これが見直されるようになったきっかけは平成の世に入ってから。ヨーロッパワインは有機塩類を多く含んでいるため、一部の食材と「ケンカ」してしまう事は以前から知られていた。ところが、日本の古典的品種から日本の気候のもとで醸造されたそれは有機塩類の含有量が極めて低く、食材と「ケンカ」しにくいワインであると知られたのである。
この頃から「葡萄酒」と卑下するのをやめ「日本ワイン」を名乗りだす。
21世紀に入ってからは国内に留まらず世界に飛躍し、山梨県はボルドーやブルゴーニュと言った名だたるヨーロッパワインの産地に負けない一大産地として知られるようになった。モンドセレクションの金賞に度々“認定”されてもいる。
「甲州」を原料とする日本ワインの弱点は2つあり、まず「甲州」自体が白ブドウであるために赤ワインというものは原則存在しない(果皮を使うことでピンクがかったオレンジ色の「ロゼ」までにはできる)。もうひとつは歴史自体が浅い上に、長年自己評価が不当に低かったため、所謂熟成ワインが存在しないこと。
現在は逆に、「日本ワイン」を名乗るのには100%国産ブドウを原料としなければならないとされている。