生涯
高倉帝の第2皇子として生誕。
安徳帝は異母兄、後鳥羽帝は同母弟にあたる。
平家の人間に育てられたために兄の安徳帝と共に都落ちするがのちに帰京。
この時すでに弟が即位してたので元服とともに親王として成立された。
後鳥羽帝が土御門帝に跡を継がせようとしたときに鎌倉幕府が土御門帝の幼さから難色をしめす。
また、守貞親王を担ぎ上げる反後鳥羽派が朝廷内にもいたが土御門帝が即位したこと
守貞親王を擁立しようとした公家が失脚したので自身の先が見えないことを悟り出家。
8年間は平穏な日を過ごしておられたがそんな彼に青天の霹靂が襲い掛かる。
この時、承久の乱で後鳥羽系統が流刑にされたために天皇の席が空席だった。
そこで鎌倉幕府は彼に「太上天皇」を与えたのだ。
そして、子であった後堀川帝とともに戦後処理を行うことになった。
一番この乱で苦労したのは彼ではないだろうか・・・。(後、後堀川帝)
2年後に崩御。「後高倉院」という院号を贈られた。