父と弟と叔父と争う
1508年、第3代古河リンク先記事名公方足利高基の長男として生まれる。幼名は亀若丸。後に将軍足利義晴から偏諱を賜り晴氏を名乗る。弟に足利高実、雲岳、足利晴直(上杉憲寛)、足利晴泰(大内晴泰)。
1528年に元服するが、当時の里見家当主・里見義豊は晴氏を挙げた。これにより晴氏は上杉憲政と結んで父の高基と弟の晴直と敵対。
最終的に1531年に祖父で元・古河公方足利政氏の治療を専念させ、この時期から古河公方の地位を確立した。同年、父が隠居した事により家督を継ぐ。
1538年には小弓公方を称していた叔父・足利義明を北条氏綱と結んで滅ぼす事に成功した。
選択を誤った末路
ところが、氏綱が死去すると後を継いだ北条氏康とは気が合わず、上杉方に寝返る。しかし1546年に河越夜戦で敗北すると実権を失う。
そして6年後、長男・藤氏を廃して母親が北条家出身の次男・義氏に家督を譲る事を強要される。
1554年には北条家に攻められて降伏。相模国波多野に幽閉されたが、後に1557年に解放される。だが、藤氏を再び後を継がせる計画を立てた為に再び北条家に幽閉された。
結局、晴氏は古河御所に戻れないまま失意の内に53歳で死亡した。その後、義氏の代では古河公方も最早傀儡政権になり、1583年に義氏が死去すると古河公方は断絶した。なお、娘の氏姫は足利義明の孫・喜連川国朝と結婚した為、現在に至るなで古河公方の血は続いているが因縁ある小弓公方家に足利嫡流を譲る結果になった。実際結婚当初は小弓系と古河系で激しく対立している。
各メディアにおける足利晴氏
信長の野望シリーズ
息子・義氏に遅れて覇王伝のシナリオ1から登場。シナリオ開始当初は関東で浪人となっているが、彼を大名にすると足利将軍家(PS版では今川家のBGMも兼任)と同じBGMが流れる。(もちろん息子の義氏も同様。)
(ただし縁組させた場合は隠居や後継者選択してもBGMは変わらないので注意。将軍家と同じBGMを聞くには晴氏(もしくは義氏)を一門衆に加えずに大名が死亡した場合時の後継者選択時場面で家督を継がせる必要がある。)
主に政治型で武勇や統率は低め。天翔記のシナリオ1では簗田高助(晴助は元服)や叔父の義明が配下に加わっていたが、シリーズが進む事に叔父の義明が大名として登場した代わりに結城家一門や結城家臣団が初期の家臣として登場する様になっていった。
余談だが、何故か初登場の覇王伝の時は息子・義氏との血縁関係が無かった。
戦国無双
武器:槍(3) 声:藤本たかひろ(3)
3のみ登場。3Empriesでは唯一DLC限定シナリオ「厳島の戦い」にて大名として登場した。
なお、弟・晴直は何故か上杉憲寛名義で3の河越夜戦に登場。(この時点では既に上杉姓は名乗っていない)