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河越夜戦

かわごえよいくさ

河越夜戦とは、戦国時代に関東地方で行われた合戦。「河越城の戦い」とも呼ばれ、後北条氏と関東管領上杉氏を中心とした連合軍が河越城の争奪を巡り争ったが、最終的に後北条軍の勝利に終わった。
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概要

戦名河越夜戦(かわごえやせん)
時期戦国時代(天文14年(1545年)9月 ~ 天文15年(1546年)4月)
戦地武蔵国河越城 (現・埼玉県川越市)
両軍と各陣営の戦力
結果後北条軍の勝利。連合軍の敗北、上杉朝定敗死、扇谷上杉氏滅亡。


16世紀中頃、武蔵国内の重要拠点であった河越城を巡り後北条氏と、山内上杉・扇谷上杉両氏そして古河公方足利氏との間で繰り広げられた合戦。数的に圧倒的優位にあった連合軍を相手に、巧みな心理戦と不意を突いた夜襲をもって劣勢を覆した後北条氏が勝利を収め、武蔵国内ひいては関東圏における後北条氏の優位を決定的なものとした。

またこの合戦の結果は、敗者たる古河公方や関東管領家といった旧勢力の権威・軍事力の決定的な失墜と、対する後北条氏を始めとする戦国大名などの新興勢力の躍進を如実に表したものであり、関東地方における室町時代の枠組みの消滅をも意味するという点でも、極めて重要な出来事として位置付けられている。

合戦に至るまで

室町後期より、関東では当地における幕府の出先機関・古河公方と、元はその補佐役であった関東管領・山内上杉氏、そしてその庶家の一つである扇谷上杉氏とが、長年に亘って抗争を繰り広げていた。やがて16世紀に入ると、扇谷上杉氏と協力関係にあった伊豆の伊勢宗瑞(北条早雲)が関東へ勢力を伸長、扇谷上杉氏の領土であった相模を手中に収めるなど、その勢力圏も次第に削られていくようになった。
後北条氏による関東進出の方針は、家督を継いだ氏綱にも引き継がれ、古河公方と両上杉氏双方が内紛で混乱する中、氏綱は武蔵に進出し扇谷上杉氏本拠の江戸城を陥落。更に天文6年(1537年)にはその当主・上杉朝定の居城・河越城をも落とし、一時は扇谷上杉氏を滅亡寸前まで追いつめていた。

そんな後北条氏有利の情勢も、天文10年(1541年)に氏綱が没し、嫡男の氏康が家督を継いだ辺りから俄かに風向きが変わる。氏綱存命時より、駿河・遠江を領していた今川氏と後北条氏は対立関係にあったが、時の今川氏当主・今川義元は関東管領で山内上杉氏当主の上杉憲政と内通して背後から挙兵、駿河の北条領に侵攻(第二次河東一乱)。氏康もこれに対抗すべく駿河に兵を進める。
一方、当時の古河公方・足利晴氏は氏康の妹婿に当たり、その関係から初め親北条の立場を取っていたものの、こちらも上杉憲政に唆される形で従来の路線を破棄し、さらに山内・扇谷の両上杉氏も和睦に及ぶに至り、この三者による同盟が成立。同時に関東の全大名に北条攻めの号令を発した。ここに氏康は家督継承早々、最大の危機に直面する事となったのである。

合戦の経過

天文14年(1545年)9月、氏康の駿河在陣中を狙って両上杉氏と古河公方の三者はそれぞれ自軍を率いて出陣、これに前述の北条攻めの号令に呼応した関東の諸大名も加わり、実に8万にも及ぶ大軍をもって河越城を包囲した。この時、一説によれば関東のほぼ全ての大名がこの連合軍に加わったとされ、唯一下総の千葉利胤のみが後北条方についたとも伝わる。
当時、河越城の守備に当たっていたのは氏康の義弟・北条綱成であったが、この時河越城にあった兵力はわずかに3000、食糧の備蓄こそ十分にあったとはいえ、本国からの増援なしには落城は避けられない状況にあった。それでも綱成率いる守備兵はこの籠城戦を半年に亘ってしのぎ切り、戦況は膠着状態へと縺れ込む格好となった。
一方、駿河に在陣中の氏康もまた、今川・武田連合軍の勢いに押され劣勢にあったが、ここでその窮地を救う形となったのが、今川方として参戦していた甲斐の武田晴信であった。晴信の斡旋により、氏康は義元に譲歩する事で和睦を結び、これによって氏康は後顧の憂いを断つ事が出来た。またこの間、氏康は扇谷上杉氏家臣・太田資顕(太田資正の兄)の調略にも成功しており、河越城への道筋も確保するなど、関東方面への転戦に踏み切る用意が整いつつあった。

かくして氏康は本国より8000の兵を率いて河越城の救援に向かったが、城の守備兵と合わせても圧倒的な兵力差は埋め切れるものではなく、氏康は起死回生を図るべく敵の油断を誘う策に打って出た。前述の通り、連合軍は膠着状態の長期化から軍律の弛緩と戦意の低下を引き起こしており、氏康率いる救援部隊の寡兵ぶりもまた、それを助長していたという背景があった。
そんな連合軍へと、氏康からの書状が届けられた。まず晴氏に対しては「河越城の兵士達の命を助けてくれるなら城を明け渡そう」と申し入れ、上杉方には常陸の小田政治の家臣に通じて「綱成を助命してくれるならばこれまでの事を忘れて我々は公方家に下る」と申し入れた。無論連合軍がこの申し出を受け入れる訳も無く、逆に北条軍への攻撃に及ぶも、氏康は敢えて戦いを避け府中まで兵を引いた。この一連の流れにより、連合軍内にはさらなる楽勝気分が蔓延する事となる。

その間、氏康と共に救援軍に加わっていた綱成の実弟・福島勝広は自ら使者を申し出て単騎で包囲網を突破、河越城に入ると兄に奇襲の計画を伝えていた。氏康は敵の戦意低下と楽勝気分に付け込み、油断しきったところを城の内外からの奇襲により、数的に不利な形勢を覆さんと目論んでいたのである。
そして包囲開始より7か月が経とうとしていた天文15年4月20日(1546年5月19日)の晩、氏康は遂に奇襲計画を実行に移す。まず自軍8000を4つに分散し、そのうち一隊を多目元忠に指揮させ、戦闘終了まで動かないように命じた。そして氏康自身は残りの三隊を率いて敵陣に向かい、日付の変わる頃に兵士達の鎧兜を脱がせ、身軽にさせた上で敵陣への突入を図った。
予期せぬ敵襲を前に、既に戦勝気分に酔っていた連合軍はたちまち恐慌を来し、山内上杉軍は大将の上杉憲政が辛うじて上州平井へ逃げ延びるも、これを守る形で本間江州ら複数の重臣が討死。扇谷上杉軍に至っては、当主・上杉朝定までもが混乱の最中に討ち取られるという有様であった。
その後、頃合いを見計らって多目元忠が法螺貝を吹かせ、氏康の軍勢を引かせると、今度は河越城中より綱成率いる守備兵が出陣。綱成は例によって古河公方軍の陣に「勝った、勝った」と叫びながら乱入し、既に浮足立っていた古河公方軍は大した抵抗も出来ぬまま潰走を余儀なくされた。

※但しこの合戦の経過については様々な異論も呈されている。特に前述した夜襲など大規模な衝突については、後北条方にこの合戦に関する感状が存在せず、また夜襲にて討ち取られたとされる上杉朝定も死亡した事実自体は揺るがない一方、その際の状況までは記録が残っておらず病死の可能性も残る事などから、連合軍の崩壊の原因を後北条軍の夜襲ではなく、朝定の急死によるものとする見解も存在している。
いずれにせよ、この時期この場所にて相当な規模の合戦が発生し、その結果後北条氏が勝利したという事実、そして連合軍と後北条軍との数的な差については、同時代の史料や検証においても裏付けがされており、まず間違いないと見るべきであろう。

合戦の結果とその後

およそ10倍近くもの兵力差を覆し、後北条氏はこの合戦を見事な勝利で飾る事となった。この勝利の余勢を駆って後北条氏は関東南西部へと勢力を拡大、さらに甲相駿三国同盟の締結により、長年対立関係にあった今川・武田両氏との関係を修復すると、常陸の佐竹氏や安房の里見氏などといった対抗勢力との抗争に専念するようになるなど、関東制覇に向けた動きもいよいよ本格的なものとなっていく。

対する連合軍は、その総勢の1/5に相当する1万6千もの死傷者を出し、さらに同盟の中核を担っていた扇谷上杉氏も当主死亡により事実上の滅亡を迎えるという、正に惨憺たる損害を被った。辛うじて存続した山内上杉氏も、この敗戦によってその勢力と権威の失墜に拍車をかける事となり、劣勢を覆すべく北信濃の村上義清らと結んだ同盟も、村上氏と競合関係にあった武田晴信との対立を誘発、却って傘下の武将たちの離反を招く事となった。やがて上野平井を追われた上杉憲政は越後の長尾景虎を頼り、彼の庇護の下で後北条氏への反攻を試みる事となる。

古河公方・足利晴氏も合戦の直後に御所を包囲され、降伏・隠居を余儀なくされた。また隠居に際し、後北条氏出身の母を持つ次男・義氏に家督を譲る事を強制された挙句、自身も相模の波多野(現・神奈川県秦野市)に幽閉されるなど、古河公方に対する後北条氏の影響・圧力はさらに強まっていった。古河公方に味方する形で連合軍に加わっていた小田氏もこの戦いを機に全盛期から一転、当主の小田政治が2年後の天文17年(1548年)に死去した事なども重なり、次第に衰退へと転じていく事となる。

創作物における河越夜戦

大河ドラマ
2007年放送の『風林火山』第23回「河越夜戦」ではこの合戦が物語の題材とされた。

信長の野望では天道よりイベントが実装されており、北条方でプレイした場合は扇谷上杉氏と山内上杉氏が滅亡し、代わりに長野氏と太田氏が登場する。反対にプレイヤーが連合軍(古河公方足利氏・山内上杉氏・扇谷上杉氏をプレイヤーとして使った場合)の場合は撤退するIFイベントもある。

戦国無双では3とchronicleのみに実装されており、特に3の場合、北条氏康の章か戦国伝でしかプレイ出来ない(模擬演武には無い)ステージとなっている。

関連タグ

北条氏康 上杉憲政

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