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上杉朝定

うえすぎともさだ

上杉朝定とは、扇谷上杉家最後の当主。(1525年-1546年)
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概要

父は扇谷上杉家当主・上杉朝興。(1488年-1537年)この頃の扇谷上杉家は新勢力である後北条氏の台頭に伴い、弱体化しつつあった。

朝定本人が生まれる前年(1524年)には太田資頼(資正の父)の従兄弟である太田資高(康資の父)が突如、北条氏綱に寝返った挙句、江戸城まで取られてしまう。

(太田資頼と太田資高は元を辿れば太田道灌の子孫であり、資高の父は資康、その弟に当たる資家は資頼の父である。太田資高が北条に寝返ったのは祖父道灌謀殺の事から扇谷上杉家に恨みを持っていたとも推測される。)

こうした出来事の最中、1537年に父・朝興は江戸城奪還を果たす事無く50歳で死去。この為、朝定本人は13歳で家督を継ぐ。

しかし家督を継いだ直後、北条氏綱に攻められて河越城を奪われる。これ以後、家臣難波田憲重の居城である松山城を本拠地とした。

1541年、敵対していた山内上杉家当主・上杉憲政や古河公方足利家当主・足利晴氏小田氏治らと組みつつも4年後には今川義元と同盟。

そして同年河越城を包囲するが、翌年北条家の奇襲討ちに遭い両上杉・古河公方連合軍は大混乱を起こして崩壊、朝定は連合軍崩壊の最中に戦死した。享年22歳の若さであった。

彼の死亡に伴って、ここに扇谷上杉家は断絶した。

(後に上杉憲勝(一説によれば朝定の弟)が太田資正により当主に迎えられて、1559年に扇谷上杉家は一時的に再興されるが、1561年に北条・武田連合軍に敗れて降伏。この事を聞いた上杉政虎は憲勝の子を処刑している。)

その後

主君を居城に迎えさせた難波田憲重は河越城の戦いにも参戦したが、奇襲討ちに遭い混乱の最中に古井戸に落下し、死亡。(一説に主君の後を追って井戸に身を投げたとも。)

大石定久・成田長泰・上田朝直・藤田康邦は後に後北条氏に降伏するが、成田長泰は後に上杉に寝返る。(後に上杉政虎の怒りを買い、北条家に帰参。)

太田資正は上記の4人と同じく北条家に属すが、やはり主家を滅ぼした北条家を恨んでいたのか上杉政虎の関東征伐に通じて北条家を裏切る。これ以後、1590年の小田原征伐によって北条家が滅亡まで反北条家を貫き通した。

各メディアにおける上杉朝定

信長の野望シリーズ

覇王伝PK版から初登場。当初は上杉では無く扇谷家(父も扇谷姓)の為、扇谷朝定名義で登場していた。(次作の天翔記や嵐世記-蒼天録、天道・創造PKでは上杉姓で登場。)その後、烈風伝にて再登場した時のみ、扇谷上杉姓名義で登場している。

天道にて再登場。天道では河越夜戦のイベントが追加されており、選択次第では生き延びらせる事は可能。

戦国無双

武器:刀剣 声:宮坂俊蔵(3)

「関東の覇権・・・取り戻すことはかなわなんだか・・・」(3の撃破時台詞・一部省略)

北条氏康のシナリオである「河越夜戦」で総大将として登場。彼を倒すと上記の台詞を呟く。戦国無双3Empでも登場するが、こちらは上記のセリフは呟かない。プレイヤーとして使った場合はスピード型の成長をする。

関連タグ

河越夜戦 上杉家

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