足利晴氏
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あしかがはるうじ
第4代古河公方。北条氏綱と結んで小弓公方を滅ぼすが、後に自身も北条に反旗を翻した為に最後は幽閉された。(1508年-1560年)
1508年、第3代古河公方足利高基の長男として生まれる。幼名は亀若丸。後に将軍足利義晴から偏諱を賜り晴氏を名乗る。弟に足利高実、雲岳、足利晴直(上杉憲寛)、足利晴泰(大内晴泰)。
1528年に元服するが、当時の里見家当主・里見義豊に挙げられた。上杉憲房死後に勃発した山内上杉家の家督争いで、上杉憲政と結んで父の高基と弟の晴直と敵対。また扇谷上杉朝興や小弓公方・足利義明も参戦してきたことでさらに混沌し、高基VS晴氏&憲政VS義明&晴直という構図になった。
最終的に1531年に祖父にして第2代古河公方足利政氏の治療を専念させ、この時期から古河公方の地位を確立した。同年、父が隠居した事により家督を継いた。また義明との争いで北条氏綱と共同戦線を結んで1538年の第一次国府台合戦で義明を滅ぼした。
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