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足利義明

あしかがよしあき

足利義明とは小弓公方初代当主にして最後の当主。古河公方・足利政氏の次男。(1487年?-1538年)
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還俗対立

足利政氏の子として誕生。兄は足利高基。初めは空然として僧籍にあったのだが、父と兄が対立すると和睦後の1510年に突然還俗して義明と名乗り、1518年には上総国真里谷城主の武田信勝(信清とも)の支援のもと小弓城を襲撃。

そして小弓城を奪取。そして古河公方に対抗して小弓公方と名乗り対立した。

なお、義明を用いて掌握しようと画策し、義明の小弓入城を実現させたのは真里谷武田家の策略かと思われる。一方の義明側でも、古河公方の兄・高基と対抗する理由から、この武田信勝の誘いに乗ったと思われる。

国府台で死す

しかし1530年代になると真里谷武田家や里見家が内乱を起こした事により地盤が弱体化。

この様な状況で1538年に大軍を起こして下総国国府台に出陣し、北条氏綱と甥の足利晴氏と決戦を行った。(この戦いを第1次国府台合戦と言う)

しかし参戦したのは弟基頼、子義純らの一族集団とその直臣団を戦闘の中核に据えざるをえず、また自ら大将として個人的力量を最大限発揮せざるを得ない事だった。

参戦した有力な大名も義豊の後を継いだ里見義堯のみであった。

しかしこの状況の中でも義明本人は武勇に優れ、自ら陣頭指揮をとる奮戦ぶりで、当初は優勢を維持し、場合によっては勝てる状況だった。

だが、里見義堯は戦いに反発して軍を進めなかった。これが原因で軍の士気は上がらずに形勢逆転される。

その中で弟の基頼、嫡男の義純が討ち死にし、この報を耳にした義明は激高して北条軍に突撃するが、戦死した。

義明の死で小弓公方は滅亡したが、次男の頼純は里見家に仕えた後に豊臣家に従うなど生存した。

信長の野望

覇王伝PKから初登場。天将記では甥の晴氏に仕えていたが、再登場の嵐世記以降はちゃんと独立して安房一国の大名として登場したが、続編の蒼天録ではデフレのためか能力が弱体化している。

その後、長らく登場せずだったが創造PKにて義明は再び再登場を果たした。が、実際は…。当主の義明を除いて誰1人もいないという、まさに超上級者向けの大名となっている。(戦国立志伝では救済処置として佐野弘綱が再登場したが、それでも超上級者向けな事に変わりは無い)

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