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小田政治

おだまさはる

小田政治とは堀越公方・足利政知の四男で室町幕府11代目将軍・足利義澄の弟。後に常陸小田家を継いで小田家を戦国大名化し、最盛期を築いた。(1492年-1548年)
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足利から小田に養子入り

1492年、堀越公方・足利政知の四男として生まれる。幼名・亀若丸。兄に足利茶々丸、足利潤童子、第11代目将軍・足利義高(後に義澄)がいる。

1496年、常陸小田家にて第13代目当主・小田成治の子である小田治孝と小田顕家が争って2人とも死亡した為に亀若丸は小田家に養子入りする事となった。

小田家の最盛期を築く

1507年に元服した亀若丸は義父・成治から「治」、実父の政知から「政」を拝領して政治と名乗った。7年後、義父・成治の死により第14代目当主に就任した。

同じ頃に古河公方にて足利政氏と足利高基が争いの最中であり、政治は宇都宮成綱忠綱親子、結城政朝らとともに高基を支持し、佐竹義舜小山成長岩城常隆白河顕頼ら政氏方の大名と争った。

高基が古河公方を継いでからは関東南部で急激に勢力を拡大する後北条氏を危惧し、実妹を佐竹義篤の妻にさせ、佐竹氏との関係強化を図る。

1531年には江戸氏との一戦(石岡合戦)にて勝利。後には多賀谷氏と結んで結城政朝の子・政勝と戦うが敗北。また古河公方と戦いながらも小田氏の勢力を拡大し、最盛期を築いた。

晩年には河越夜戦に連合軍に味方して戦うが、敗退した。この敗北から小田家は衰退期に入りつつあったとされる。政治は1548年に57歳で死去する。

家督は次男の氏治が継いだが、やがて佐竹家の攻撃によって激しい攻撃に晒された挙句に小田原征伐に参加しなかった事もあって大名としての小田家は消滅した。

信長の野望

天翔記から初登場。しかし初登場時から列伝の内容が、「河越合戦にて古河公方・足利晴氏に味方し、敗れた。」(一部省略)や「多彩な軍事活動を行うが、多くは失敗に終わった。」(一部省略・烈風伝の列伝より)など散々な内容だった。(嵐世記以降は普通の列伝になった。)

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