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デロリアンの編集履歴

2011-09-29 22:46:56 バージョン

デロリアン

でろりあん

デロリアンとは今は亡き自動車会社及びそこで製造された幻の名車、さらにはヒット映画にてそれをベースに造られたタイムマシーンのことを指す。

デロリアン(De Lorean )はアメリカ合衆国にかつて存在した自動車製造会社である。また同社で唯一製造された自動車『DMC-12』を指す通称としても用いられる。


DMC-12は、世界的にヒットした映画『バック・トゥ・ザ・フューチャーシリーズ』に登場するタイムマシンのベースカーとして広くその存在を知られている。


本記事では、企業としてのデロリアン社と自動車モデルのDMC-12の両方について解説する。

企業概要

1975年10月24日、当時ゼネラルモーターズの副社長であったジョン・ザッカリー・デロリアンが、理想の車を作るためにGMを辞職し独立して自ら設立したのがデロリアン・モーター・カンパニー(Delorean Motor Company Ltd. 、DMC)である。本社はミシガン州デトロイトに、製造工場はイギリス・北アイルランドのベルファスト郊外、アントリム州ダンマリー村にあった。1982年に解散(詳細は後述)。

DMC-12

長い開発期間を経て1981年に登場した同社唯一のモデル『DMC-12』は、イタルデザイン社のジョルジェット・ジウジアーロがデザインし、ロータスがメカニック設計を請け負った(ロータス・エスプリのデザインをジウジアーロが手がけたことから、その類似性への指摘も存在する)。同車は、ガルウィングドア等の先進的な発想を取り入れたため開発は非常に難航し、ロータス創業者コーリン・チャップマンの生涯における最後の作品ともなった。


バックボーンフレーム上に強化プラスチックボディを載せる手法はロータスが得意とした構造だが、メンテナンスフリーをも狙って外部全体を無塗装ステンレスで覆ったことが極めてユニークである。銀色のヘアライン外装と近未来的なガルウイングドアは、後年まで同社のイメージを決定づけ、映画で採用される理由にもなった。なお、ノーマル時の車高(ロードクリアランス)が高いのは、当時の法的基準におけるヘッドライトの高さを満たすためであった。


エンジンはフランス製「PRV」V型6気筒(SOHC2849cc。プジョー・ルノー・ボルボが乗用車用に共同開発した量産品)を後部に搭載する、リアエンジン・レイアウトを採った。このエンジンは1973年のエネルギー危機後に設計されたもので、当時としては出力よりも経済性を優先した実用型のエンジンであった。従ってDMC-12は、スーパーカー的な外見を持ちつつも、実際は個性的なスタイルに重点を置いたスペシャリティ・クーペというべきものであった。


初年度は約6,500台を販売するなど売り上げは好調で、ターボチャージャー搭載や4枚ガルウイングドア4座仕様追加等の計画もあったが、発売価格が2万5,000ドル(当時の為替レートで約625万円)とやや高値であったDMC-12は、翌年以降たちまち売り上げが不調になっていった。


また、北アイルランドへの工場誘致の条件として交付されていたイギリス政府からの補助金が停止された。後にエンロンの会計監査も行ったアーサー・アンダーセンが、デロリアン社の資金を社長ジョン・デロリアンが私的に流用するなどしたことを黙認していたことがマスコミの調査などで明らかになっている。


さらに1982年10月19日に、社長のジョン・デロリアンがコカイン所持容疑で逮捕されるスキャンダルが発生したことにより、会社は資金繰りが立ち行かなくなり、倒産してしまった。


生産期間中には風変わりなバージョンも製造された。1981年モデルの最後を締めくくっているのが2台の純金パネル装備車で、2005年現在もネバダ州リノの National Auto Museum とテキサス州の Snyder Bank に展示されている。(1台12万5,000ドル以上という)。なお、最後に製造された車も純金パネルであったが、これは宝くじのような富くじ方式で一般人の手に渡った。


最終生産車が作られたのは工場閉鎖後のことで、工場に残っていたパーツ等で1982年12月24日に作られた4台が一般向け生産の最後となった。最終的に8,583台が製造されたと見られているが、500台が調整用として確保されたため実質8,083台と思われる。

ジョン・デロリアンとDMC-12のその後

これら多くの逸話・スキャンダルを伴った希少性と、生産終了後の映画「バック・トゥ・ザ・フューチャーシリーズ」での活躍によって、DMC-12は1980年代を代表する著名なカルトカーとなり、21世紀初頭の現代でも多くの自動車マニアのコレクション対象となっている。倒産後のデロリアン社の設備を取得した Stephen Wynneは、現在もDMC-12のオーナーに修理用パーツを供給し続けており、1台丸ごと新車を組み立てることも可能である。


ジョン・デロリアンは、麻薬売買に関わった容疑で逮捕されたものの、のちに裁判の末、無罪となった。彼はその後も、再び新たな高性能車を創造するプランを抱いていたが、新モデルの開発、発売を果たすことなく、2005年3月19日に死去した。あるデロリアン愛好者のウェブサイトによると、その企画では2ドア・2シーター、時速60マイル(96km/h)到達まで3.5秒、価格は1万7,500ドル程度と、低価格でありながら非常な高性能を目指していたようである。


以上Wikipediaより抜粋。

タイムマシンとしてのデロリアン

むしろ、単にデロリアンといえば、映画バックトゥザフューチャーシリーズに登場したタイムマシンとして改造されたデロリアンが有名だろう。劇中でも大きく数回改造がされており、PART3で電車に轢かれてバラバラになるまでにかなり複雑な運命をたどっている。

PART1

最初期の仕様。

タイムトラベル用のエネルギー源は核燃料(プルトニウム)で、ドクはこれを過激派からだまし取って入手していた。当然これがなくなるとタイムトラベルができなくなる。他にも、タイムトラベル直後に車体がドライアイスで覆わるといった不具合も残っていた。日本製プロポで遠隔操作することも可能(テスト搭乗者がドクの愛犬アインシュタインだったため)だったりと、実は地味な面でも結構スゴイ

避難した1955年では雷エネルギーから必要なエネルギーを得られる端子が追加された。このときエネルギー量の説明で言及されたエネルギーの単位「ジゴワット」(jigowatt)は脚本家のミスとして有名。正しくは「ギガワット」(gigawatt)。

ちなみに、開発したドクは1955年当時に持っていた広い土地と邸宅を売り払ってまで製作したあたり、ガチで彼の生涯をかけた発明と言える。

PART2

厳密にはPART1の最後に登場した仕様で、飛行機能や動力源としてミスター・フュージョン(そこらのゴミ等で核融合を起こす機器。ちなみに未来での市販品)を追加、さらにはPART1初期の仕様の不具合も改良したシリーズ中もっとも高性能なデロリアン。ナンバーも2015年仕様のバーコードのようなものになっており、飛行中にタイムトラベルしてもやはり炎の轍を空中に残す。

PART3

ここでは大きく2回の改造がされている。

1回目は、PART2の最後で落雷の直撃を受けて1885年に行ったデロリアンを「発掘」してタイムトラベル可能な状態まで修復した仕様。

過電流によりタイムトラベルに必要なマイクロチップ(主人公マーティーお墨付きの日本製だが、戦後10年のドクは複雑な表情をしていた)が焼き切れてしまっていたため、大型の真空管や電解コンデンサー等で代用回路を造り接続。当然デカ過ぎて車内に組み込めず、ボンネットに括り付けるというアバンギャルドな姿になった。

他にも落雷で使い物にならなくなったタイヤとホイールが1955年当時主流だったホワイトリボンタイヤに履き替えられたり、舗装路が無いため車高も上げられている。

2回目は、ガソリンを失い自走不可能になったデロリアンを蒸気機関車で押すことで時速88マイルを得られるよう、線路上を走行できるようにホイールが改造されている。

関連イラスト

俺、ミラじゃねぇーしデロリアン

関連タグ

タイムマシン BTTF バック・トゥ・ザ・フューチャー 自動車 DMC-12 マイケル・J・フォックス 童夢零

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