車両概要
デロリアン・モーター・カンパニーが1981年から1982年にかけて製造・販売した同社唯一の車種。
単に『デロリアン』と呼ばれる場合は企業ではなくこの車両の事を指す事が多い。
この車両はイタルデザイン社(イタリアのデザイン会社、5代目カローラや二代目いすゞジェミニのデザインも行った)のジョルジェット・ジウジアーロがデザインし、ロータスがメカニック設計を請け負った。
ガルウィングドア等の先進的な発想を取り入れたことにより車両の開発は非常に難航し、ロータス創業者コーリン・チャップマンの生涯における最後の作品になってしまった。
この車種自体の特徴として、他のスポーツカーよりも車高が高いことがある。これは法律上の問題(ヘッドライトの高さを確保するため)である。また、この車はフレームの上に強化プラスティックを載せる手法があるが、メンテナンスのコストを減少させるため無塗装のステンレスでおおわれている。
エンジンはフランス製「PRV」V型6気筒(SOHC、1本のカムシャフトがシリンダーヘッドに置かれたエンジン。2849cc。プジョー・ルノー・ボルボが乗用車用に共同開発した量産品)を後部に搭載する、リアエンジン・レイアウトを採った。このエンジンはこの種のスポーツカーに乗せることがあまりない1973年のエネルギー危機後に開発された出力よりも経済性を優先した実用型のエンジンであった。
実際に製造されたこの車の中には風変わりなバージョンも存在する。1981年モデルの最後を締めくくっているのが2台の純金パネル装備車(1台12万5,000ドル以上!)であり、この車は2005年現在もネバダ州リノの博物館とテキサス州の銀行に展示されている。なお、最後に製造された車も同様な純金パネルであったとされるが、これは宝くじのような富くじ方式で一般人の手に渡り、その後の行方は分からない。
この車両は初年度約6,500台を販売するなど売り上げは好調であり、ターボチャージャー搭載や4枚ガルウイングドア4座仕様追加等のかなり無謀とも思われるバージョンも構想されるものの、次年度以降の売り上げの落ち込みおよび会社の不祥事により、それらは製造されることはなかった。
最終生産車が作られたのは工場閉鎖後のことで、工場に残っていたパーツ等で1982年12月24日に作られた4台が一般向け生産の最後となった。
この車種(および会社では)最終的に8,583台が製造されたと見られているが、500台が調整用として確保されたため実質8,083台と思われる。
生産終了直後は日本においてもそこまで高い評価はされていなかったが、とりわけこの車種が有名になったのは生産終了から約三年後の1985年に公開された映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でタイムマシンのベース車両として抜擢された影響が強く、現在でもデロリアンといえばタイムマシンの方を思い浮かべる人が圧倒的に多い。
タイムマシンの方の詳細はこちらを参照。
なお、Stephen Wynneにより、再生産の可能性が示唆されている(これは公道を走らせることはほぼ不能であり、撮影用やコレクション用として扱われる)。また、電気自動車として復活させるというアイディアも存在している。
参照
上記の電気自動車化とは別に、日本EVクラブの広島支部では「普及型EVと同じ急速充電に対応したEVデロリアン」が存在している(車検もパスしているためナンバーも取得済みである)。
関連タグ
デロリアン…企業の方。
デロリアン(タイムマシーン)…映画に登場した劇中車両。