マイケル・J・フォックス
まいけるじぇいふぉっくす
本名はマイケル・アンドリュー・フォックス。デビューの際同姓同名の俳優がいたため、尊敬するマイケル・J・ポラードからミドルネームのJを借りる形で芸名をつけた。
警察官の父親の都合で、幼少期は各地を転々としていた。アイスホッケーの選手を夢見ていたが、身長が足りず断念している。
15歳の頃、カナダのテレビ番組に出演したことを機に芸能活動を始める。
18歳でアメリカに渡る。しばらくは伸び悩んでいたが、1982年から放送のTVドラマ『ファミリータイズ』で主人公を演じ人気を博した。
1985年に『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のマーティ・マクフライ役で、名実ともにハリウッドを代表するトップスターの仲間入りを果たした。
日本では特にBTTFシリーズが大ヒットしたことから人気が高く、1980年代の映画雑誌の人気ランキングでは、長い間1位の座を守り続けた青春スターである。日本企業のテレビCMにも出演し、コミカルなキャラクターで親しまれた。
まさに人気絶頂という時期である『BTTF3』の撮影中、身体の不調が生じ始め、30歳ごろにパーキンソン病と診断を受ける。
しかし当時はパーキンソン病であることは公表せず、『スピン・シティ』で主演、さらにはプロデュースに関わり、同ドラマでゴールデングローブ賞を受賞するなど精力的に活動していた。
1998年に病気を公表。2000年には『スピン・シティ』を降板し、俳優としては一線から退くことになった。
引退後、パーキンソン病の研究助成活動のため「マイケル・J・フォックス パーキンソン病リサーチ財団」を立ち上げる。生い立ちやパーキンソン病の闘病生活を綴った自伝『ラッキー・マン(Lucky Man)』はベストセラーとなり、売上金は財団に全額寄付された。このほか、顔出しは避けていたものの声優として『スチュアート・リトル』に出演するなど活動は停止していなかった。
2004年、本格的に俳優業を再開。2010年にはバンクーバーオリンピックの開会式で元気な姿を見せている。また、2013年のドラマ『マイケル・J・フォックス・ショウ』では、本人をモデルとした役でひさびさに主演を務めた。
パーキンソン病の悪化で記憶力の低下などの症状があったことから、2020年に再び俳優業を引退した。
引退後も財団の運営と執筆活動は続けているほか、TwitterやInstagramなどのSNSで近況報告をたびたび投稿しており、健在であることが窺える。
私生活では、出世作となった『ファミリータイズ』で共演したトレイシー・ポランと1988年に結婚。一男三女の父である。なお、長女と次女は双子。
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