1962年に信越本線の碓氷峠用に補機用のEF63と共に54両製造された機関車である。そのためEF63との協調運転ができるように設計されている。直流用機関車としては初めて正面に貫通扉を設け、台車は動輪が3軸*2の仕様となった。
貨物列車の減少や、首都圏と北陸圏は信越線より距離の長い上越線経由の方が早く到達でき、かつ長編成が組めることから、誕生から20年余りたった1984年には約半数が東海道、山陽本線のEF58用の荷物列車の置き換えで転出したが、1986年には荷物列車が廃止となったことで全廃され、本来の信越線運用も激減し、JR化した際に引き継がれたのはわずか6両で末期は3両となり、細々と臨時列車運用についていた、これも1997年の長野新幹線開業による碓氷峠区間の廃止で、完全に用途を失い、1999年までに廃車となっている。
なお当初の目的となった東海道、山陽線の運用では元々高速運用でない性能で走らせたことから、故障が相次ぎ代走でEF58が走ったほどであった。また、JR化の際には全廃されていたが、1988年の瀬戸大橋開業前の試運転では死重として使用されており、四国入りも果たしている。