概要
九八式中戦車は、1938年に採用された九七式中戦車に代わる中戦車として研究・開発が始まった。
乱暴にいえば、九七式中戦車が持っていた防御力や武装といった戦闘能力はそのままに、エンジンの洗練・小型化によって車体を縮小する事で、生産性や整備性、運用性を向上を目指した戦車である。
悪くいえば九七式中戦車の簡略版であるが、劣化板というわけでもない。
そもそも九七式中戦車自体、少し無理をした設計であり、特にエンジンの設計に無駄が多く、性能の割には重かった。(具体的には、設計上は200馬力を発揮出来るはずだったが、実際には140以下の馬力しか出ず、好条件下でも170~150程度の能力しかなかった。)
戦車の重量が増えることで操縦が難しくなり、運転手の育成がなかなか出来なくなる。戦地にある河川を通過する為の、橋の建設作業または補強工事が面倒くさい事になるのだ。
さらに開発当時、戦場は拡大を続けており、兵器の需要も爆発的に増加している状況から、九七式中戦車では、その需要を満たせないと考えられていた。
日中戦争や太平洋戦争では、中戦車の需要を満たすことが出来ず、書類上は中戦車の名を冠した部隊でも、実際は軽戦車のみで構成されることもままあったという。
結果論でいえば、簡略版なんぞ開発せずとも、九七式中戦車そのままがマシだったともいわれるが、当時の状況を踏まえれば決して愚策ともいえなかったのである。
長所
・エンジンの小型化により、車体が縮小され軽量化したことで、生産性が向上した。
・九七式中戦車と比べて搭乗員が4人から3人減ったことで人件費の節約ができる。
・従来の国産戦車は砲塔の真後ろに装備していた機関銃を主砲の隣の位置へ変えたことで、対応能力が向上した。
・軽くなったことで運転がし易くなり、運転手の育成が捗る。
・エンジンが最適化が進んだことで機動性が向上する。
ここが駄目
・車体が小型化したので、大口径砲の搭載が怪しくなり、大口径砲の搭載が必須の自走砲と車体設計が共用出来なくなる可能性がある。
・砲塔から展望塔がなくなっているため、周囲の確認をする際に、車長が身を乗り出さなければならず、車長が死にやすい。
・装甲は九七式中戦車から変わらず、25mm程度しかないため、37ミリ級対戦車砲に耐えられない。(防御力の不足は日中戦争の初期から指摘されている。)
・人員が一名減ったことで、欠員が生じた際の各人員への負担が増加する。
呼称
開発中のコードネームはチホ(…なんか人名っぽい)。チホ車と呼ばれることもある。
このコードネームの由来は中戦車(ちゅうせんしゃ)の『チ』に、何番目に開発されたかを示す「イ・ロ・ハ・ニ・ホ・ヘ・ト…」の5番目にあたる『ホ』を組み合わせたモノである。
(別の例をいうならば、最初に開発された中戦車ならば『チイ』というコードネームが付いていたりしなかったりする)
日本陸軍では戦車や装甲車に対して、このような法則のコードネームを付けるのが伝統であったが、
決して渾名や愛称の類いではない。
あくまで情報漏えいを防ぐ為の処置であって、人間でいうところの仮名や偽名或いは開発陣内での呼び名である。
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