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九八式中戦車の編集履歴

2020-07-15 21:14:51 バージョン

九八式中戦車

きゅうはちしきちゅうせんしゃ

日本陸軍が1938年から1941年にかけて研究・開発していた中戦車である。採用される事はなかった。

性能諸元

全長4.75mまたは5.29m
全幅2.3m
全高不明
重量10.73t〜12.5t
搭載砲長砲身47mm戦車砲(構想段階では短砲身57mm砲)
副武装機関銃(砲塔と車体の正面に1門ずつの計2門)
装甲最大25mm
最高速度30km/h〜41km/h
備考数値のバラツキは、試作車が複数あることによる

概要

九八式中戦車は、1938年に採用された九七式中戦車に代わる中戦車として研究・開発が始まった。チホ、チホ車と呼ばれることも多い(後述)。


(以下、九八式中戦車はチホ車と表記する。)


なんだこの戦車!?

要は、九七式中戦車が持っていた防御力や武装といった戦闘能力はそのままに、エンジンの洗練・小型化によって車体を縮小する事で、生産性や整備性、運用性を向上を目指した戦車である。


悪くいえば九七式中戦車の簡略版であるが、けして劣化板というわけでもない。例えば、スペイン内戦等の海外の戦争の情報から搭載砲を対戦車戦闘を重視したモノを当初から装備したり、現場の意見を取り入れて、それまで砲塔の後ろに装備していた機関銃を正面辺りに移すことで即応性をあげるといった先進的な面が見られる。



そもそも九七式中戦車自体、少し無理がある設計であり、特にエンジンの設計は当時の日本の技術的には制作難易度が高く、結果的に大きく重いわりには、非力で壊れやすい仕上がりとなった。通称チハ機と呼ばれるこのエンジンは、設計上は200馬力を発揮出来るはずだったが、実際には140以下の馬力しか出ず、好条件下でやっと170〜150馬力が出せるという悲しみを背負っていた。


当時の戦車は重量が増えることで操縦が難しくなるという特性があり、こうなると運転手の育成がなかなか出来ず、戦車があっても運転手がいないという状況に陥る可能性があったし、性能通りの速度を出せなくなることもあった。(この問題は油圧装置による補助や変速機の種類を変更することで解決するが、戦車そのものの重さが増えるにしたがって、それに合わせるように油圧装置も変速機も新規開発しなければならない。)


また、戦地にある河川を通過する為の、橋の建設作業または補強工事が面倒くさい事になることも大問題だった(橋の資材や道具、作業員を前線に揃えるのが難しかった)。


このような問題は九七式中戦車が開発される以前から懸念されており、拡大が止まらない戦場と爆発的に増加する兵器の需要という状況から、質より量、とにもかくにも数量を重視せねば、その供給が追い付かず数が揃わない。そして数が揃わなければ、部隊編成も訓練も戦術研究もままならないと考えられていた。

(日中戦争や太平洋戦争中には、書類上は○○式中戦車で編成されているはずの部隊が、実はより弱い車両で構成されていたというケースがよくあったらしい。)


じゃあ、なんで九七式中戦車作ったの?

九七式中戦車の開発時、性能重視のチハ案と量重視のチニ案を試作しどちらにするか話し合っていた。どちらかといえば兵士側はチハ案を、上層部はチニ案を所望しており、なかなか決着がつかなかった(本命はチニ案だったが、上層部はチハ案も捨てがたいと考えており、単純な話ではなかった)。


ところが、当時険悪な関係にあった中華民国と開戦したことで、予算の制約がなくなり、議論を中断するような形でやや強引にチハ案が採用される。


この採用に関して、上層部はチハ案の量産はあくまで一時的な短期間のモノであり、チハ案で一時しのぎをしている間に、本命の新型戦車(チホ車)の研究開発を進めていこうとしていたようである。


やっぱり劣化版じゃないか


なんやかんやあったが、結局チホ車は採用されることはなかった。ソ連との国境紛争の結果を踏まえて量産性や火力の向上だけでなく、機動性や防御力の強化が重要視されたからである。そのためには既存戦車の簡略版などという、やる気のないようなモノよりも、既存の国産戦車が抱えていた根本的な問題点を解消し、質の向上を求めた本格的な戦車の開発にシフトすることになる。


ただ、チホ車の開発で培った経験は無駄になった訳ではなく、その後の戦車開発で活用されていく。


(結果論でいえば、簡略版なんぞ開発せずとも、九七式中戦車そのままがマシだったという意見も多く見られるが、当時の状況を踏まえれば決して愚策ともいえなかったのである。)



長所

  • エンジンの小型化により、車体が縮小され軽量化したことで、生産性が向上する。
  • 軽量化したことで、操縦性が改善し運転手の育成が捗る上、機動性の向上にも繋がる。
  • 軽量化により運用費用が下がる。
  • 九七式中戦車と比べて搭乗員が4人から3人減ったことで人件費の節約ができる。
  • 従来の国産戦車は砲塔の真後ろに装備していた機関銃を主砲の隣の位置へ変えたことで、対応能力が向上した。
  • 対戦車戦闘を重視して、試作の段階で長砲身47mm砲を搭載することになっていた。

短所

  • 車体が小型化したので、大口径砲の搭載が怪しくなり、大口径砲の搭載が必須の自走砲と車体設計が共用出来なくなる可能性がある。
  • 砲塔から展望塔がなくなっているため、周囲の確認をする際に、車長が身を乗り出さなければならず、車長が死にやすい。
  • 装甲は九七式中戦車から変わらず、25mm程度しかないため、37ミリ級対戦車砲に耐えられない。(防御力の不足は日中戦争の初期から指摘されている。)
  • 人員が一名減ったことで、欠員が生じた際の各人員への負担が増加する。

呼称

開発中のコードネームはチホ(…なんか人名っぽい)。チホ車と呼ばれることもある。

このコードネームの由来は中戦車(ちゅうせんしゃ)の『チ』に、何番目に開発されたかを示す「イ・ロ・ハ・ニ・ホ・ヘ・ト…」の5番目にあたる『ホ』を組み合わせたモノである。


(別の例をいうならば、最初に開発された中戦車ならば『チイ』というコードネームが付いていたりしなかったりする)


日本陸軍では戦車装甲車に対して、このような法則のコードネームを付けるのが伝統であったが、

決して渾名や愛称の類いではない。


あくまで情報漏えいを防ぐ為の処置であって、人間でいうところの仮名偽名或いは開発陣内での呼び名である。


別名・表記ゆれ

98式中戦車 試製九八式中戦車 チホ車


関連タグ

日本陸軍 戦車 中戦車 新砲塔チハ 一式中戦車

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