人物
幼稚園の頃からピアノを習い始め、大学時代にはジャズに打ち込み、卒業後は日本グラモフォンに入社。洋楽担当のディレクターとして勤務する傍ら、大学の先輩である作詞家の橋本淳に勧められ、すぎやまこういちに師事。彼の下で作編曲を学ぶ。
1966年、『黄色いレモン』でデビューし、1967年から専業作家となり、60年代後半から歌謡曲、アイドル歌謡曲、J-POP、『サザエさん』に代表されるアニメソング等の作曲と多数のヒット曲を世に送り出している。
作風が幅が広く歌謡曲、ポップスで相当なヒット作がある。また「匿名性をどこまで維持しながら、音楽活動を行なえるか」をコンセプトに活動しており、メディアに出演することは少なかった。
晩年には自宅で病気療養しながらも作曲活動を行っていたが、2020年10月7日、誤嚥性肺炎により死去した。享年80歳。