「どうしましたか?」
「今はもう無い心臓が脈打つような気さえする」
「これが恋というやつかなぁ」
「可愛いねしのぶちゃん」
「ねぇしのぶちゃん。ねぇ」
「俺と一緒に地獄へ行かない?」
「とっととくたばれ糞野郎」
概要
十二鬼月×鬼殺隊柱の組み合わせであり、胡蝶しのぶから見ると童磨は姉の仇という図式でもある。
今際の際で童磨は童磨の死を待っていたしのぶと会話し、頬を初めて紅潮させてしのぶの名を呼び、一緒に地獄に行かないかとしのぶを誘った。
なお、しのぶは一度も童磨に自分の名前を名乗っていない。
カナヲに心に感覚がないから変わらないと指摘されていた童磨の顔色が初めて変わったのもこの時である。
作品に散りばめられた対比
「わぁ」
「凄いですね。手の平から糸を出しているんですか?」
「こんばんは」
「今日は月が綺麗ですね」
※第41話のしのぶのセリフから
「やあやあ初めまして」
「俺の名前は童磨」
「いい夜だねぇ」
「わあ!」
「速いねぇ。柱なのかな?」
※第141話の童磨のセリフから
童磨としのぶの発言には似通ったものが多い。
会敵した時に、敵対した相手に対し挨拶をし褒める発言、他者に対し助けてあげるといった傲慢ともとれる発言、贖罪・詫びの行動として目玉などの部位に関する発言も似通っている。
「助けてあげます」
「だから救ってあげただろ?」
「目玉をほじくり出したりお腹を切って内臓を引き摺り出したり、その痛み苦しみを耐え抜いた時あなたの罪は許される」
「どのように御詫び致しましょう。目玉をほじくり出しましょうか。それとも…」
余談だが、童磨は戦いの最中にカナヲに腹を切られ内臓がこぼれ落ち、しのぶの毒が回った時に目玉がこぼれ落ちる。奇しくも、しのぶがかつて累の姉鬼に語った言葉になぞらえている。
また、二人が扉絵を飾った時も対比的な表現が見られる。
第41話「胡蝶しのぶ」では、背を向けるしのぶの姿と足元には童磨の血鬼術を彷彿とさせる睡蓮の花が咲いている。
第161話「蝶のはばたき」では、正面を向いている童磨と眼前にしのぶを彷彿とさせる蝶が舞っている。
童磨の両親の関係と童磨と胡蝶しのぶの関係に見る類似点
信者の女に次々手を出す色狂いの父をめった刺しにして殺した母が、半狂乱になりながら服毒自殺した時も
栄養価の高い女を食べることに執着した童磨と、女に次々手を出す色狂いの童磨の父。
刺し技しか持たないしのぶに何度も刺された童磨と、童磨の母にめった刺しにされた童磨の父。
姉の仇の鬼を殺すために藤の毒を溜め込み続けたしのぶと、半狂乱になりながら服毒自殺した童磨の母。
状況は違えど両者の間にはいくつかの類似点を見ることができる。
更にネタバレ(漫画未収録分)
最終話において、胡蝶しのぶと胡蝶カナエの生まれ変わりのような人物が鶺鴒女学院の生徒として出てくる。
鶺鴒<セキレイ>は、日本書紀の中で性交がわからなかったイザナギとイザナミに性交の仕方を伝えたと言われている鳥である。
このことから、「教え鳥」や「恋教え鳥」と呼ばれるようになった。
カナヲに恋を教えたカナエ、童磨に恋をさせたしのぶに似た人物が鶺鴒女学院という学校に通っていることも、童磨がしのぶに恋をしたという出来事をより印象付けている。