米国の黒人運動指導者。都市における黒人解放運動に大きな影響を与えた。
出生名マルコム・リトル。
母は祖母が白人にレイプされて生まれたという悲惨な生い立ちを持つ。このため、その子であるマルコムも明るい褐色と茶髪を持っていた。
幼少期に父が白人至上主義団体によって殺害されると、母の精神が崩壊したために一家は離散し、マルコムは白人家庭へ養子に出された。明るい性格と優秀な成績を収めていたが、白人教師の心無い助言により医者か弁護士になる夢を絶たれ、そのままニューヨークの黒人街ハーレムへ流れてチンピラ同然の生活を送る。
しかし、窃盗罪で収監されている間、イスラム教新興宗教団体ネーション・オブ・イスラム(以降NOI)の信者と出会いその教えに感銘を受け、勉学と修身に励むようになった。出所後はNOIのスポークスマンとして、モハメド・アリのアドバイザーとして盛んにメディアに露出し教団の拡大に大いに貢献した。この時にマルコムXを名乗る。ここでの"X"とは「未知の物、謎の物」という意味であり、本来であれば与えられるはずであったはずの、永遠に知る由のないアフリカの名前を現している。
しかし、NOIの指導者イライジャ・ムハンマドの悪質なセックススキャンダルとそれに対する不誠実な対応に失望し、1964年にNOIでの権力争いに敗れる形で脱退した。
アメリカ社会との融和路線をとったキング牧師とは違い、当初は白人との明白な分離を訴えたマルコムであったが、しかし、メッカ巡礼時、人種関係なく連帯するイスラム教徒に衝撃を受けて以降は黒人至上主義を捨て去った。
巡礼後は正式にスンニ派への改宗を済ませ、黒人の人権運動に引き続き関わり新路線を模索していた中NOIのメンバーにより暗殺された。
キング牧師の遺族がアメリカ、殊に黒人社会において名士として迎えられているのに対し、マルコムXの遺族はその多くが波乱万丈かつ悲劇的な最期をたどっていった。
語録
- 「400年にも及ぶリンチの歴史は、アメリカ市民が殺人者であることを証明するものだ。」
- 「教育こそが未来へのパスポートだ。明日という日は、今日準備をする人たちのものである。」
- 「自由のために死ぬ覚悟がないのなら、「自由」という文字をお前の辞書から消すがいい。」