概要
都市における黒人解放運動に大きな影響を与え、その代表格としてキング牧師と並び有名である。
1925年5月19日生まれ、ネブラスカ州出身。
本名:マルコム・リトル。
母は祖母が白人にレイプされて生まれたという悲惨な生い立ちを持つ。このため、その子であるマルコムも明るい褐色と茶髪を持っていた。
幼少期に父が白人至上主義団体によって殺害されると、母の精神が崩壊したために一家は離散し、マルコムは白人家庭へ養子に出された。明るい性格と優秀な成績を収めていたが、白人教師の心無い助言により医者や弁護士になる夢を絶たれ、そのままニューヨークの黒人街ハーレムへ流れてチンピラ同然の生活を送る。
20歳の時に窃盗罪で収監されている間、イスラム教新興宗教団体「ネーション・オブ・イスラム(以降NOI)」の信者と出会いその教えに感銘を受け、勉学と修身に励むようになった。
出所後はNOIのスポークスマンとして、モハメド・アリのアドバイザーとして盛んにメディアに露出し教団の拡大に大いに貢献した。この時にマルコムXを名乗る。ここでの"X"とは「未知の物、謎の物」という意味であり、本来であれば与えられるはずであったはずの、永遠に知る由のないアフリカの名前を現している。
しかし、NOIの指導者イライジャ・ムハンマドが十代の少女を複数人レイプして妊娠させたスキャンダルと、それに対する不誠実な対応に失望し、1964年にNOIでの権力争いに敗れる形で脱退した。
アメリカ社会との融和路線をとったキング牧師とは違い、当初は白人との明白な分離を訴えたマルコムであったが、脱退後にメッカを巡礼した際、人種関係なく連帯するイスラム教徒に衝撃を受ける。
この時、「人種差別の本質は肌の色ではなく心である」と悟り、以降は黒人至上主義を捨て去った。
正式にスンニ派への改宗を済ませ、黒人の人権運動に引き続き関わり新路線を模索していた中、NOIのメンバーにより暗殺された。39歳没。
キング牧師の遺族がアメリカ、殊に黒人社会において名士として迎えられているのに対し、マルコムXの遺族はその多くが波乱万丈かつ悲劇的な最期をたどっていった。
余談
- 当時の黒人としては珍しく、眼鏡を常用していた。これは刑務所内で夜通し猛勉強した結果、視力が0.2まで低下してしまったのが理由。この頃に磨いた知性は出所後のスポークスマン時代にいかんなく発揮され、実際には高校中退でありながら難関大学卒のインテリと勘違いされることが多かった。
- 穏健派として知られるキング牧師とは対立していたというのが世間での認識であるが、晩年のマルコムは穏健派に転じており、キング牧師とは思想的に近しくなっていた。そのキング牧師も、マルコムと同じ39歳で暗殺されている。
- 1992年に彼の半生を描いた映画『マルコムX』が製作されると、公開前から黒人たちの間でブームを起こし、人種差別問題を再燃させた。尚、この映画は上映時間が3時間22分という超大作であった。
語録
- 「400年にも及ぶリンチの歴史は、アメリカ市民が殺人者であることを証明するものだ。」
- 「教育こそが未来へのパスポートだ。明日という日は、今日準備をする人たちのものである。」
- 「自由のために死ぬ覚悟がないのなら、「自由」という文字をお前の辞書から消すがいい。」
- 「前科者であることは恥ではない。犯罪者であり続けることが恥だ。」
- 「無責任な新聞は、犯罪者を犠牲者に、犠牲者を犯罪者にすり替える。もしあなた方が注意深く見ていなければ、新聞はあなた方を操って、抑圧されている人間を憎み、抑圧している人間を愛するように仕向けるだろう。」
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