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赤松広隆の編集履歴2021/04/09 15:58:04 版
編集者:岡村貴教
編集内容:親記事修正

概要

1948年生。名古屋市出身で、社会党の議員だった赤松勇の息子で、自身も18歳で社会党員となる。

早稲田大学卒業後、日本通運に勤務し1979年から愛知県議。1990年に県議を辞職して社会党から出馬し国政転身、1993年にはわずか1期めで書記長に就任した。

1996年に社民党を離党し民主党入り。民主党政権下では鳩山由紀夫内閣で農林水産大臣として初入閣した。

しかし2010年春の口蹄疫発生において、彼は騒動の渦中に被害地よりもキューバ訪問を優先。これはかねてから彼が支持していたキューバ革命の指導者フィデル・カストロ(カストロ議長)の弟、ラウル・カストロとの対談予定があったためと言われている。

帰国後やっと宮崎県を訪問したものの「何しにきた」と地元県議に怒られ、地元選出の自民党議員に「選挙目当てだろう」などと暴言を吐く、エース級種牛の処分に関して「だから早く殺せって言ってるのに」と笑いながら発言するなどの放言を繰り返すなどして強く反発を買った。

同年6月の鳩山由紀夫首相辞任にともない大臣をおろされた。

2012年には民主党代表選に立候補するも野田佳彦に破れる。

その後の民主党系野党再編に伴い立憲民主党に所属。

2012年より社会民主主義ないし社会主義を掲げる党内左派グループ『サンクチュアリ』会長を務める。派閥の所属政党は民主党→民進党→立憲民主党と移行している。かつての新政局懇談会(横路グループ)が北海道地盤だったのに対し、サンクチュアリは愛知県を地盤としている。

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