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1991年3月12日生まれ、父シアトルスルー、母ツリーオブノレッジ。通算23戦6勝。

1994年デビュー、毎日杯・ラジオたんぱ賞(現:ラジオNIKKEI賞)・函館記念で2着と善戦するも重賞を勝てずにいた。

1995年安田記念3着・宝塚記念ダンツシアトルの2着・ジャパンカップ4着・有馬記念マヤノトップガンの2着、と今度はGIでも善戦するも勝てずにいた。

1996年大阪杯(当時GII)でついに重賞初制覇、ただ安田記念トロットサンダーの前にまたも2着。この時点ではGIを勝ちきれないシルバーコレクターという評価だった。秋は日本馬として史上初のアメリカのブリーダーズカップシリーズ(クラシック)へ遠征、しかし大差の最下位13着に大敗する。

1997年遠征のダメージが抜けずもうダメかと思われたが、京王杯SCで復活の勝利。さらに安田記念も連勝とついにGI初制覇。その後は2年連続BCクラシックに遠征し6着、有馬記念9着となり引退。

種牡馬となりヤマノブリザードなどを輩出。

2014年8月、永眠。

タイキブリザードとクロフネミステリー藤沢和雄厩舎の遠征ノウハウを築き、タイキシャトルの快挙に繋がった。

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