塗装一覧
新塗装(1962年~)黄緑色の車体に緑の帯
都心循環バス色(1985年~2011年)スカイブルー1色(※現在は廃止)
観光バス(1984年~)白塗装に下部スカイブルーorオレンジ
ワンロマ色(1984年~)濃いスカイブルーに青帯(青鉢巻なし)
ツヨシ交通(1997年~)濃いスカイブルーに青帯
最初期の塗装は側面に緑色の帯(通称:「緑鉢巻」)が特徴的であったが、塗装面などでコスト増となるため1975年に全車緑鉢巻を廃止した塗装に変更されている。
新日暮里中央交通は「いすゞ・日野・三菱ふそう・UDトラックス(ツヨシ自動車)」の4社体制で投入を行っているが、社長が無類の富士重工好きのためか、特に7Eはバリエーション豊富であり、中古車の約40%を富士重工7Eを占め、北は北海道中央、南は琉球バス交通など様々である(そんなに導入して大丈夫か?大丈夫だ、問題ない)。都市部では大型4枚折戸車が通り、城ノ内市.池田市には大型短尺バスが通り、井上地方などの輸送力が少ない路線では中型車が使われる。2003年には富士重工のバス製造の操業が終了しており、同時にツヨシ自動車に移管され、絶版品の製造が行われいている。
また1997年にはさらなる輸送力を兼ねて新日暮里駅前から運行する
ツヨシ交通が運行開始され、新日暮里のコミュニティバスとしての機能を持っている。
歴史
1935年 新日暮里~発展場間の 新日暮里乗合自動車が運行開始
1937年 10路線に拡大
1941年 ノンゲイ戦争が開戦し乗用車の燃料不足が起こり、運行休止へ
1945年8月10日 終戦となり、残っていた8台は路線運行に復帰
1949年 センターあんたぁーフロアバスの購入を開始
1951年 貸切業務及び観光業務開始
1954年 ノンケ街の日暮里市にも運行開始
1959年 脱ボンネット化が広まる
1961年 ワンマンバス運行開始
1969年 大都市でのワンマン化100%達成
1970年 初の冷房バス(日野RV)を導入(この年から観光用及び貸切バスは全車冷房バスに)
1975年 バス窓から2段冊子窓に変更
1977年 路線バスの冷房車を試験的導入
1978年 この年の新車から冷房車を導入
1980年 初のスケルトンバス(日野ブルーリボンRU608)を導入
1981年 路線車にもスケルトン導入(日野ブルーリボン)
1984年 P-代導入直後に塗装を変更(明銀から銀に)
1985年 この年から全車スケルトンバスを導入
1985年 初のノンステップバス試験導入(三菱エアロスターM)
〃 新日暮里市内の循環バス運行開始
1988年 富士重工が発表した富士重工7Eを導入
1994年 初のハイブリットバスを導入(日野ブルーリボンHIMR)
〃 都市低床試作車を4社導入、全車新日暮里市内の営業所へ配属(1メーカーにつき4台)
1995年 機械式オートマチック車を試験導入(現在は2台のみ営業車.残りは教習車)
1996年 ワンステップバスを本格導入(
1997年 本格的ノンステップバスを導入(全車試作車)
〃 ツヨシ交通株式会社が設立
1998年 バス1日乗車券を発行
〃 この頃から試作型ノンステップバスから量産型ノンステップバスへ移行
1999年 CNGノンステップバスを試験導入
2003年 富士重工業撤退の伴い、ツヨシ自動車操業開始&富士重工主体の営業所の新車はUD日デへ
2006年 尿素バス(日産スペースランナー)を導入
〃 新201.新202系統をツヨシ交通へ売却(一部車両はツヨシ交通へ移籍)
〃 新日暮里営業所にツヨシ交通が加わり、共同管轄する営業所へ
2007年 小杉営業所廃止(ツヨシ交通に売却)
2011年 UDトラックスのバス販売停止(これに伴い、UD主体の営業所は三菱ふそうへ移行)
〃 新日暮里中央交通のエルガミオを全車ツヨシ交通へ売却(2012年度末まで)
乗降方法・及び運賃
前乗り前払いで均一190円での形態。また萃香(suica)
Pasumoは対応済。
車内放送
営業所一覧
(()の中は、営業所略号)
新日暮里営業所(SNP)(℡0721~449~4281)
日暮里営業所(NP)(03~3521~810)
城ノ内営業所(JU)(03~579~8576)
難波営業所(MB)(078~809~721)
池田営業所(CRS)(0493~810~1919)
鎌田営業所(KAM)(0539~450~810)
井上営業所(CAB)(080~888~3519)
那須営業所(NAS)(074~816~528)
ツヨシ交通新日暮里営業所(0721~449~4981)
ツヨシ交通小杉営業所(0810~292~420)
※斜体文字は、ツヨシ交通と併設している営業所
社番
社番は、SNP4545のように表される。
最初のアルファベット3文字(2文字)は所属営業所略号、番号の上2ケタ(1ケタ)は年代、下2ケタは車体のメーカーを表している。
年代
1975年度以前は割愛させていただきます。
- 旧1500番台 1975年度(今いるのには11500番台に改番されている 例:SNP1525→SNP11525)
- 旧1600番台 1976年度
- 旧1700番台 1977年度
- 旧1800番台 1978年度
- 旧1900番台 1979年度
- 旧2ケタ 1980年度
- 旧100番台 1981年度
- 旧200番台 1982年度
- 旧300番台 1983年度
- 旧400番台 1984年度
- 旧500番台 1985年度
- 旧600番台 1986年度
- 旧700番台 1987年度
- 旧800番台 1988年度
- 旧900番台 1989年度
- 旧1000番台 1990年度
- 旧1100番台 1991年度
- 1200番台 1992年度
- 1300番台 1993年度
- 1400番台 1994年度
- 1500番台 1995年度
- 1600番台 1996年度
- 1700番台 1997年度
- 1800番台 1998年度
- 1900番台 1999年度
- 2ケタ 2000年度
- 100番台 2001年度
- 200番台 2002年度
- 300番台 2003年度
- 400番台 2004年度
- 500番台 2005年度
- 600番台 2006年度
- 700番台 2007年度
- 800番台 2008年度
- 900番台 2009年度
- 1000番台 2010年度
- 1100番台 2011年度
その他
2000番台・3000番台 小型車
4000番台・5000番台 ツヨシ交通車
6000番台・7000番台 食う肛(空港)アクセスのリムジンバス
8000番台 観光バス
9000番台 特定輸送車
メーカー
00~24 日野
25~49 いすゞ
50~74 三菱
75~99 UD
しかし、2001~2009年度は、たくさん車両が投入されたので、社番法則が大きくずれてしまったが、2010年には落ち着いた。
古参車が多く生き残っている訳
まず新日暮里に出かけた方は「どういうことなの?」と言ってしまうことが多いためか、新日暮里中央交通では1975年式のバスが今でも運行しているのが特徴である。これは(有)ツヨシ工業が那須にあり、そこには総合バス修繕所と呼ばれる場所があり、ここでバスの整備などを行っている。またツヨシ工業社員の特徴として「廃車された車などをピカピカに磨いて新たに運用復帰が出来る」ということである。旧型車は完全に動かなくなるまで走行しており、走行距離5万キロを超えたバスは即修繕され、修繕後は新車同前となっている(ちなみにエンジンは交換されていて、古いエンジンを一から作って交換する。1975年式以外の車の車番は修繕された年の新車と同じ上2ケタの番号に改番される)。