シャダイカグラ
しゃだいかぐら
概要
「シャダイカグラ」とは日本の競走馬、繁殖牝馬。おもな勝ち鞍は1989年の桜花賞、ローズステークス、ペガサスステークス。同年のJRA賞最優秀4歳牝馬を受賞。武豊に初の牝馬クラシック優勝をもたらし、「ユタカの恋人」とも呼ばれた。
経歴
1986年、北海道門別町の野島牧場で生まれる。父は後にリーディングサイアーを獲得するリアルシャダイ。母ミリーバードは中央競馬で3勝を挙げている。
6月13日、札幌競馬場の新馬戦で、柴田政人を鞍上に迎えた初戦では2着、2戦目で1着となり初勝利を挙げる。
骨膜炎で休養後、復帰緒戦の条件戦から、デビュー3年目の武豊を鞍上に迎えた。この競走で2勝目を挙げ、続く京都3歳ステークスでも勝利。
次走のラジオたんぱ杯3歳牝馬ステークスで重賞に初出走、2着となった。
翌4歳シーズンはエルフィンステークスから始動、2着ライトカラーに5馬身差で圧勝、続くペガサスステークスも連勝し、重賞を初制覇。本命馬として牝馬クラシック初戦・桜花賞に臨んだ。
第49回桜花賞
シャダイカグラが桜花賞の枠順抽選で引き当ててしまったのは、大外18番枠であった。当時の桜花賞が行われる阪神競馬場の芝1600mは、そのコース形態から外枠は圧倒的不利とされていた。(現在は解消されている)
それでも桜花賞当日は単勝2.2倍の1番人気に支持されたが、シャダイカグラは発走前から激しい焦れ込みを見せる。迎えたレースでは、スタートで出遅れ、最後方からの運びとなった。
しかしレースがハイペースで進んだため、後方待機の馬が有利となり、シャダイカグラは出遅れたため苦もなく後方でコースの内に陣取る事が出来た。
最後の直線では抜け出したホクトビーナスをゴール直前アタマ差交わして優勝を果たした。
桜花賞後
次走はクラシック二冠を目指し優駿牝馬(オークス)に出走するも、ライトカラーとの競り合いに敗れ、2着となった。
夏は休養に充て、秋はローズステークスで復帰しこれに勝利。エリザベス女王杯をもっての引退・繁殖入りが発表される。
涙と波乱の1989年エリザベス女王杯
女王杯に向けての調教が積まれていたが、この頃より両前脚にバンテージが巻かれ、脚部不安のため強い調教ができない状態となっていた。
そしてエリザベス女王杯当日、シャダイカグラは単勝2.2倍と依然圧倒的1番人気であったが4コーナーで右前脚の繋靱帯断裂を発症、失速する。
シャダイカグラをマークしていた先行馬達が軒並み沈んでしまう中、大外から躍り出たのは…
何と20頭中の20番人気、芝では勝てないと見向きもされていなかった「砂の貴婦人」サンドピアリスだった。
20頭中20番人気のサンドピアリスが1着でゴール板を駆け抜けた。
一方シャダイカグラは最後まで完走する意地を見せたが、結果は最下位20着となった。
正に天地がひっくり返ったとしか言いようが無いレース結果に、(色々な意味で)涙した者は多いだろう。
伊藤雄二調教師は、「大丈夫と思って使ったが、こんな結果になってしまいファンに申し訳ない」と謝罪した。
怪我は重傷であったが幸い予後不良は免れ、当初の予定通りそのまま引退。故郷・野島牧場で繁殖入りした。
繁殖牝馬として
繁殖牝馬としては6頭の産駒を出産するに留まった。
2年目の産駒エイブルカグラがデビュー戦をレコードで快勝したものの故障で引退。そのエイブルカグラも繁殖牝馬となり、牝馬三冠戦線に駒を進めたアスクコマンダーを輩出している。
シャダイカグラは2005年4月4日に死没した。(19歳没・旧20歳)
武豊とシャダイカグラ
武豊は、シャダイカグラという牝馬に対して「(たくさんの馬に乗ったが)彼女が一番の美女です」さらには最も印象に残っている馬は何ですかという問いに「牡馬ではディープインパクト。牝馬ではシャダイカグラ」と答えている。