概要
1888年にドイツ帝国に採用されていたGew88の後継機種として、1898年5月に主力小銃として採用されたのがゲヴェーア98だ。第一次世界大戦ではその優れた性能を発揮し、オスマン帝国やブルガリアでも使用され、戦後もチェコスロバキアやスペインで派生型が製造された。
本銃の最大の特徴は、マウザーアクションと呼ばれる独自の閉鎖機構だ。この機構はそれまでのボルトアクション小銃の問題だった射撃によるボルトの破断及び後方への脱落、発射ガスの漏れという致命的欠陥を完全に無くした。この機構は現在のほとんどのボルトアクションライフルに導入されており、その優秀さが窺える。
19世紀末のドイツ小銃開発
1880年代、ドイツ・プロイセン帝国ではマウザー(モーゼル)兄弟の単発式M71と連発式のM71/84が使用されていたが、元祖ボルトアクションのドライゼ小銃の改良型ともいえるこれらの小銃は、まだ安全性においていくつも欠点を抱えていた。また当時は単発式の時代が終わりに近づき、多くの連発式ライフルが登場し始めていた時期だが各国とも弾薬消費の問題などから軍用への導入には二の足を踏んでいた。
マウザーM71/81はM71にマガジン部を設けた改造式だったが、無煙火薬が世界的に実用化をはじめるとこれを用いた弾薬、パトローネ88(7.92×57I)が開発された。無煙火薬は、それまでの黒色火薬に比べて発射時のエネルギーが大きく、それに伴いM71系で使用していた11mm弾から貫通力を上げるため小口径化したことで、小銃も新式化が求められた。パウル・モーゼルは、M71/84に下方に大きく突き出したパトローネ88用のマガジンを増設し、M87として軍に提出したが間に合わせ的で、強度や機構の問題は残されたままだったため却下された。その後、シュパンダウ小銃試験委員会(GPK)がM71の機関部をベースにオーストリアのマンリッヒャーライフルの弾倉、装填機構を組み合わせて設計したGewehr88が登場する。直ちにGew88はプロイセン、バイエルンの両国軍で共同採用されたがM71系の欠点が改善されたわけではなかった。
この頃の小銃弾薬は製造技術がまだどこの国も未熟で、発射時の圧力に耐え切れず破裂や亀裂が生じ、そこから漏れた燃焼ガスがボルトの隙間から噴出すことがあった。またこれにより薬莢の破片が薬室に張り付きボルトが動かなくなったり(自動小銃にも良くある)、薬莢のリムが外れてボルトの先端を塞いでしまったりした。またGew88は二重装填を防ぐための装置がなく、射手の不注意ですでに薬室に装填されている状態で装填操作を行ってしまうと、次弾が初弾を撃発して暴発になる危険があった。さらに銃身の強度が足りず、裂けたり破裂したりする事故が多発した。
同時期のマウザー小銃の発達
銃器史の中でもマウザー兄弟はジョン・ブローニングと並ぶほど偉大な名前だ。弟パウルが主に開発、改良に携わり、兄のヴィルヘルムは設計より会社の経営や売り込みについてはいたが彼のおかげでいくつも好機に恵まれたことから、兄弟でその名が通っている。
1884年にパウル・マウザーの設計したM71/84の改良型ライフルが軍の期待にそえられず、信用まで失ったようにM88の設計にマウザー社は呼ばれなかった。(一部にM88をモーゼルと称する資料があるがこれは誤りでM88は実質的ににGPKの設計だ)しかしその間、M88の欠陥が続出する中、パウル・マウザーはオーベルンドルフのマウザー本社で地道にM87の改良を続け、M89、M90、M91、M93と発展させていたM89はベルギー軍で採用されたが、M84のような急造品ではなく本格的な無煙火薬使用弾式で、独自の7.65mm弾と共に5連発の固定式直列弾倉(この頃のライフルにはまだシングルカラムマガジンが多い)と専用5連チャージャーまで設計した。すると1890年後半にGPKは新式小銃開発にパウル・マウザーを呼び戻し、埋め合わせのつもりか試作小銃数千挺の発注を行った。このときの試作型がM88/97インファントリーライフルで、機関部のほとんどはパウル・モーゼルの新規設計だった。
マウザーライフルの集大成
欠点の多くを克服したM88/97だが、当面のつなぎでしかないことは軍部も開発陣も理解していた。
何よりもモーゼルの本命はパトローネ88を使用できる完全オリジナルのライフルを作ることだった。そして登場するのがインファントリーゲヴェーア98、Gew98小銃である。
Gew98は、マウザー兄弟が1860年代からシャスポーライフルやマンリッヒャーライフル、ドライゼライフルを研究し続け、地道に改良を重ねて完成されたものである。
マウザー式ボルトアクションの優れた点はボルトにロッキングカムを設けることでレシーバーの2つのラグ(後に3つに増やして強化)にボルトが積極的に固定されるようにしたことだ、これによりハンドルを握って90度起こさない限りボルトは確実に固定されるようになっており、射撃時の安全性が向上した。
さらに特徴として挙げられるのが安全装置だ。ボルト本体の最後部に組み込まれ、撃鉄につながるシアを押さえるようになっており、板状のセイフティレバーで操作する。右にレバーが倒れた状態で安全位置(セイフティオン)となり、引き金もボルトも動かない。左に倒すと撃発位置(セイフティオフ)となる。ここまでは現在では一般的なポジションだが、驚きなのは垂直に立てるとシアだけをロックしたままボルトをフリーにすることができたのだ。これにより射手は装填中の暴発を起こさず安全に装填が行えるほか、戦闘後の抜弾ややむ終えず(あるいは通常の)ボルトを取り外す際にも不意に撃発せずにすむようになったのだ。パウル・マウザーは射手の安全に特に気を使って設計したということからもこの装置はかなり優秀だ。マガジンは複列式で外部に突き出しておらず、銃全体をスマートに仕上げている。
これらの機構は当時から現在に至るまで改良の余地が全くないといわれるほど完成度の高いものであり、銃器開発の全盛期に多くの優れた小銃をマウザー兄弟が研究した成果の賜物だろう。
なおこの後、Gew98はドイツ帝国軍の主力小銃として第一次世界大戦で華々しい活躍をするのだが、1914年5月29日パウル・マウザーは開戦直前、76歳で亡くなっている。
派生型
Gew98には多くの騎兵型が存在する。これらはそれぞれ独自に設計され単一の開発系列上にはなく機種によってはドイツ以外にも輸出され、一部は第二次世界大戦後まで使用され続けた。
Kar98
銃身を740mmから435mmにボルトハンドルの形状が靴べらのようになったが、それ以外はGew98のままだ。銃身の短縮化で発砲炎と発砲音が大きくなりすぎ、当然反動も強くなったため生産数は試作型数千挺のみとされる。(着剣装置付のモデルをKar98aと称することもある)
Kar98AZ
銃身長を590mmまで戻し、着剣装置などを追加。ボルトハンドルをカービングタイプに変更し、ハンドルを起こしやすいようドリガーガードの上部がえぐられている。またサイトもランゲサイトから単純なミリタリータイプに変更された。
Kar98a
ヴェルサイユ条約下、ワイマール共和国軍でのKar98AZの正式名称
Kar98b
Kar98aの銃身長がGew98まで戻され、名称こそKar(カラビナー、英語訳のカービン、騎兵銃の意)だが、ワイマール共和国では主力級として使用されており、ヴェルサイユ条約の裏を掻くために騎兵銃と称されたといわれる。
M1924
Kar98のワイマール共和国時代の名称。同軍の騎兵部隊ではこちらが主力だった。
Kar98k
Gew98クラスの最終型で、最も有名な派生モデル。正式採用は1935年だが、開発は33年頃から始まっておりKar98bの特徴とM1924ライフルのコンセプトを引き継いで完成された。戦時下になると必然的に質を落とされていったが最高の性能に小型化が融合したバランスの良い銃で、マウザーライフルの中でも傑作とされる。