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FlorianGeyer(SS-KD)の編集履歴

2021-11-17 00:34:16 バージョン

FlorianGeyer(SS-KD)

ふろりあんがいえる

第8SS騎兵師団。映画「ヒトラー〜最期の12日間〜」(総統閣下シリーズ)のセリフで登場したフェーゲラインが師団長の師団であることで一部で有名。師団名は16世紀のドイツ農民戦争で黒軍(Schwarzer Haufen)を率いたフランケン貴族フロリアン・ガイエルに由来。

概要

1942年にSS騎兵旅団を基に編制された。

人員のおよそ40%はルーマニアセルビアのドイツ系住民であった。

東部戦線のブリャンスク等での戦闘、またバルカン半島での戦闘を経験。

1944年の暮れにはハンガリーでの防衛戦に従事するが、12月にブダペスト赤軍に包囲され、1945年初頭に壊滅した。


師団名は16世紀のドイツ農民戦争で黒軍(Schwarzer Haufen)を率いたフランケン貴族フロリアン・ガイエルに由来する。


略歴

1942年

9月9日

東部戦線で主にパルチザン掃討を行っていたSS騎兵旅団の基幹要員を元に編成。


1943年

4月

師団の訓練予備大隊がワルシャワ・ゲットー蜂起に巻き込まれ、鎮圧部隊に組み入れられた。


1944年

4月

新しく創設される第22SS義勇騎兵師団の基幹要員として師団の第17騎兵連隊が抽出された。

10月

第29軍団に配属され、ルーマニア国境に近いハンガリーのデブレツェンの戦いに参加。その後、第9SS山岳軍団に配属となり、ブダペスト防衛につく。

12月

ブダペストが赤軍に包囲され、激しい市街戦を展開する。


1945年

2月11日

最後の師団長であるヨアヒム・ルモールSS少将が戦死。14日、ブダペストは陥落し師団は壊滅した。第9SS山岳軍団長カール・プフェッファー=ヴィルデンブルッフSS大将はヒトラーの死守命令に盲従し続けたため退却の好機を逸し、軍団の約30,000名の人員の内、13日以降に脱出を試みたのは約2,000名、その中から友軍の戦線にたどり着いたのは800名余り、師団の人員で脱出に成功したのは僅か170名余りであった。師団の残余は第22SS義勇騎兵師団残余の兵員と伴に第37SS義勇騎兵師団に組み入れられた。


歴代師団長

グスタフ・ロンバルト親衛隊少将
1942年3月-1942年4月
ヘルマン・フェーゲライン親衛隊中将
1942年4月-1942年8月
ヴィルヘルム・ビットリヒ親衛隊大将
1942年8月-1943年2月15日
フリッツ・フライターク親衛隊少将
1943年2月15日-1943年4月20日
グスタフ・ロンバルト親衛隊少将
1943年4月20日 - 1943年5月14日
ヘルマン・フェーゲライン親衛隊中将
1943年5月14日 - 1943年9月13日
ブルーノ・シュトレッケンバッハ親衛隊中将
1943年9月13日 - 1943年10月22日
ヘルマン・フェーゲライン親衛隊中将
1943年10月22日 - 1944年1月1日
ブルーノ・シュトレッケンバッハ親衛隊中将
1944年1月1日 - 1944年4月14日
グスタフ・ロンバルト親衛隊少将
1944年4月14日 - 1944年7月1日
ヨアヒム・ルモール親衛隊少将
1944年7月1日 - 1945年2月11日
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