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ナチスドイツの編集履歴

2012-02-10 14:06:55 バージョン

ナチスドイツ

なちすどいつ

国家社会主義ドイツ労働者党(略称NSDAP、蔑称ナチ党・ナチス)が政権を掌握していた1933年から1945年の間の元首制的共和国としてのドイツ国を指す。

ナチス国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP,ナチス)、および1933年から1945年までのナチスドイツ第三帝国時代のドイツに関連するイラストに付けられるタグ。

その凄惨な歴史や独特な制服・兵器のデザインセンスから二次創作のテーマとしても高い人気がある。

欧米でも悪役として大人気であるが、特に日本では悪役以外にも味方いい人などにナチスをモチーフにしたキャラが出てくる事があり、輸出時に問題になったりする。


シンボルマーク

ナチスは19世紀より民族主義の象徴とされてきたハーケンクロイツ(=スワスティカ/鉤十字)を党のシンボルとして様々な場面で使用した。

また政権獲得後は党旗をそのままドイツ国の正式な国旗に制定した。

ハーケンクロイツ

  • ちなみに、寺院の地図記号に用いられている『(まんじ)』とは線の曲がる方向が逆であり、まったく別の紋章である。しかし海外ではあらぬ誤解を受けるためか、デザインとして過剰に忌避されるケースも見受けられる。
  • 今なおナチスは欧州で忌避されているのも事実であり、特にドイツにおいては未だにドイツ刑法においてナチス賛美は処罰の対象である。冗談でも海外(とりわけ欧州)ではナチス賛美などしないように。

主な党歌

「旗を高く揚げよ(ホルスト・ヴェッセルの歌)」

党組織

政治指導官

役立たずOber-Dienstleiter


下部組織

ナチスの下部組織は政治・経済・軍事・教育と行政全般に渡って設けられたが、ここではpixiv内にイラストが存在する組織を挙げる。

親衛隊(SS)

元は総統アドルフ・ヒトラーを護衛する党内組織の親衛隊として1925年に創設された。その後、ハインリヒ・ヒムラーの指揮のもとで勢力を拡大し、国内外の敵性分子を諜報・摘発・隔離・収容・看視する準軍事組織として発展する。

初期親衛隊LAH下士官特別行動隊その2

一般親衛隊(Allgemein-SS)

武装SS部隊が発足した事で、その他の警察・行政関連の任務に当たる親衛隊を区別するために生まれた呼称。

武装親衛隊(Waffen-SS)

親衛隊が拡大する中で、LAH,SS-VT,SS-TVといった火器で武装した戦闘部隊は武装親衛隊へと発展・重武装化し、第2次世界大戦では陸海空軍に次ぐドイツ4番目の軍隊として大いに活躍した。

なお、黒服はアルゲマイネSSの制服ではなく、全SSの制服であり武装SS部隊でも着用される。

部活中ドイツ歩兵


ヒトラーユーゲント(HJ)

ナチスの青少年教化組織。ドイツの10歳から18歳の青少年は全員加入が義務づけられた。

年齢・性別により組織は最終的に以下に細分化された。

リン&レン(ヒトラーユーゲント制服)


ドイチェユングフォルク(DJ)

男性 10~14歳

ヒトラーユーゲント(HJ)

男性 14~18歳

少女団(JM)

女性 10~14歳

ドイツ女子同盟(BDM)

女性 14~17歳

信念と美(Glaude und Schünheit)

女性 18~21歳


国家社会主義航空軍団(NSFK)

ヴェルサイユ条約で空軍の保有を禁止されていたドイツにおいて、団員にグライダーや飛行機の操縦の訓練を行い、再軍備後すぐに空軍を設立する目的で作られた準軍事組織。


国家社会主義自動車軍団(NSKK)

当時貴重であった車やバイクなどの運転技術・メンテナンス技術の指導のために作られた組織。自動車運転者の援助や、交通整理なども担当した。後に兵站部隊に配属され、当時まだ馬に頼っていた物資輸送の自動車化に従事する。

私たちと一緒にモーターボートの操舵訓練をしましょう

国家労働奉仕団(RAD)

もともとは失業者対策として公共工事を行う目的で作られた組織を前身としている。アウトバーン建設を行い、戦争勃発後は軍用道路、飛行場、鉄道の建設、保守などが様々な市民サービス、軍事建設、農業計画に従事した。

国家労働奉仕団(RAD)第九労働大官区指導者


突撃隊(SA)

エルンスト・レームを中心に1921年に結成された準軍事組織。1919年にナチス関連施設の警備の為に結成された組織を前身とする。政敵との抗争やヒトラーの護衛などに従事し、初期のナチスを支えた。ナチス内では強大な権力を持ち、SSやNSFK、NSKK、ヒトラーユーゲントなどは全てこのSAの下部組織だった。しかし、規模が大きくなりすぎたことで統制が困難になったことや、SAとヒトラーの路線が対立したことなどから、レームを始め多くの幹部がSSに粛清される。この事件で規模や権限が大幅に縮小され、下部組織が次々と独立。その後は青年に対する軍事訓練が主要任務となった。

ホッホラントSA


国民突撃隊(Deutscher Volksstur)

大戦末期の1944年、兵力不足の解消と本土防衛のために結成された民間軍事組織。16歳から60歳の一般市民で構成され、指揮官にはナチスへの忠誠心が高い者が選出された。しかし訓練、武器、弾薬、物資、士気全ての面で大幅に不足していた。組織名は「ドイツ民族の嵐」と訳される。

生きては帰れぬ国民突撃隊


著名なナチス関係者

第三帝国の項を参照。


関連タグ

WW2

軍服

ナチス風

ルフトヴァッフェ]]

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