1985年に登場、CPUや音楽性能は初代MSX(以降MSX1と記す)と同等の性能ながら、メモリーやグラフィックが強化され、結果として90年代始めまで生き残ったMSXの主要規格となった。
MSX1が256ドット×192ドットの16色しか出せなかったのに対し、最大512×212で512色中16色か256色同時発色が可能となり、ファミコンを遥かに凌駕し、PC8801シリーズなどとも対等に渡り合えるだけの処理能力を持つようになった。末期にはインターレスモードを使い見かけ上のドット数を倍にして、400ラインのグラフィックのソフトも登場している。
反面、音楽処理能力はMSX1のPSG3音のままで、他機種に比べて見劣りが目立つこととなり、コナミはソフトに拡張音源SCCを搭載し、翌年には拡張音源ROMとしてFM-PACが発売、7800円と安価だったこともあり(ゲーム用データRAMもかねており、実質音源だけなら3800円相当)普及、以降MSXの標準音源として定着をした。
またデータ容量も当時のPC9801やPC8801などの大作ゲームを移植するには不足がちとなりつつあったが、これもフロッピーディスクを安価で導入することで解決している。
が、CPUの処理能力だけはハードの問題でありどうにもならず、むしろグラフィックの向上でかえってテンポが悪くなったとも言え、次代の2+も2同様のZ80で、処理速度の向上はさらにその後のMSXturboRを待たねばならないという事になった。
何をもってMSX最後のソフト、とするのは難しいが、後継機の2+、turboRのソフトは数えるほどしか出ておらず、18禁系ソフトに関しては2+以降の後継機でなないと出せない、という面がなく、それを除いたとしても末期にMSX-FANが移植制作運動を後押しした「プリンセスメーカー」「ブライ下巻」「ソーサリアン」などは基本MSX2以降対応(ただソーサリアンはturboRでないと処理落ちが酷すぎるが)となっており、最期までMSXの主力で有り続けた(言い換えれば後継機への世代交替に失敗したとも言えるのだが)。