ビザンツ時代いや全ローマ史の最強のローマ皇帝であり最も独裁的な皇帝 もう少しで地中海全域占領する勢いだった。
ブルガリア帝国に勝利した時の記念の図を再現
勝利をキリストたちに見守られ蹂躙されたブルガリア人奴隷として跪く図
Βασίλειος Βʹ ὁ Βουλγαροκτόνος
(Βασίλειος Βʹ ὁ Βουλγαροκτόνος、958年~1025年12月25日)
(共治帝在位:963年~976年 正帝在位:976年~1025年)
禁欲的な軍人皇帝として活躍し、第一次ブルガリア帝国等の周辺地域を征服。東ローマ帝国の最盛期を現出した。“ブルガロクトノス”は「ブルガリア殺し」を意味する渾名。中世ギリシア語読みでは「ヴァシリオス」となる。
概要
108代ローマ皇帝ブルガリアを蹂躙、70代ユスティ二アヌス以来500年ぶりにヨーロッパに『ローマ帝国』の版図を取り戻した。
もう少し長生きすればイタリア半島、ヨーロッパ全域『ローマ帝国』の版図に収める勢いだったらしい。
伝説1
歴代ローマ皇帝の中で最強クラスの個人的戦闘力を持った皇帝で将軍のように陣営から見てるのではなく、『最前線』で敵を叩き潰していったらしい。
伝説2 完全専制『戦場で閣議を開く』
恐ろしいことに最前線で戦いながらついでに政治も行う・・。
そうなれば戦場のなか金勘定や人事を行っていれば一人で決めたほうがいい、(結局専制という状況である)大臣が戦火で死んでしまうからだ。
最前線で戦いながら官僚の人事などを決めていた。
伝説2 残虐
彼の慣習で一番過激だったのは貴族や官僚に『自ら罰』を与えることだった。
へまをした貴族や官僚の邸宅に皇帝陛下自ら乗り込み鼻をもぎ取っていった、その様子は『暴れん坊将軍』に近しだそうだ。
伝説3 失敗した役所を粛清の様子
最前線で失敗を犯した貴族官僚を正すため進撃近衛騎馬軍団(ローマ軍団=レギオン)を引き連れて役所を襲撃した
軍団兵に引きずられた貴族を皇帝の前に土下座させ『無能な役人を選んだ余の失敗もあるは責任としてまずはお前に死を賜る』とかいって貴族を惨殺、次いでにその役所全体の連帯責任により軍団兵が役人をせん滅して回る。次いでその失敗した役人一族、貴族の屋敷に皇帝と軍団が襲撃し粛清す。
(へまをしたら銃殺のスターリンとより酷い)
事を終えたバシレイオス二世と軍団は又最前線へ戻ってっ言った・・。
(死神のようだな・・)
日本で言うと総理自ら官僚や大臣の邸宅に乗り込み馬事雑言で