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稲葉江の編集履歴

2022-04-28 12:19:30 バージョン

稲葉江

いなばごう

刀工・郷義弘の作とされる刀。

曖昧さ回避

  1. 稲葉郷とも表記。南北朝時代刀工郷義弘作の刀。本項で解説。
  2. オンラインゲーム『刀剣乱舞』に登場する刀剣男士。→稲葉江(刀剣乱舞)
  3. メディアミックスプロジェクト『天華百剣』に登場する巫剣。→稲葉郷

概要

南北朝時代の越中の刀工・郷義弘の作とされる打刀。国宝。


号の由来は稲葉重通が所持していた事から。

重通は稲葉一鉄こと良通の子であり、春日局の伯父・養父に当たる。

天正13年(1585年)に本阿弥光徳に依頼して摩り上げ、金象嵌を入れられている。


その後文禄年間に、徳川家康が500貫(金25枚とも)と引き換えに召し上げる。

慶長5年(1600年)の会津征伐の途上、下野小山(現栃木県小山市)で世に言う「小山評定」を開いた家康は、転進して石田三成を討つ事を決める。

この時奥州への抑えとして結城秀康を残す事となったが、秀康はこれに反発して自らも西へ向かいたいと訴えた。

これに対し、家康は稲葉江と采配を渡し、秀康に託した役割がいかに重要であるかを説得したという。その後秀康はつとめを果たし、関ヶ原の戦いの勝利に貢献する事となった。


秀康の死後、稲葉江は越前松平家から津山松平家へと移る。昭和4年(1929年)3月の「日本名宝展覧会」では、松平康春子爵所持として出品された。

昭和11年(1936年)に旧国宝指定を受け、昭和20年(1945年)に刀剣愛好家である中島飛行機社長・中島喜代一の所持となる。

昭和26年(1951年)に国宝指定を受けるが、その後所有者の死後に所在不明となる。これが明らかになったのは平成27年(2015年)だったが、平成28年(2016年)に所在が判明。文化庁の発表によれば、2015年2月に稲葉江を購入した個人の収集家が「所在不明文化財」の報道を見て、同庁に連絡をしたという。

平成31年(2019年)、岩国市のカシワバラ・コーポレーションが稲葉江を購入し、取締役会長が理事を務める柏原美術館(旧:岩国美術館)に寄贈。折に触れて公開されている。


関連タグ

日本刀  刀剣 打刀

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