概要
平安時代末期、鎌倉時代初期の女性。鎌倉幕府を開いた源頼朝の長女で母は北条政子。頼朝の最初の子供であり、兄弟には、弟に頼家と実朝、妹に乙姫(三幡姫)がいる。
大姫とは貴人の長女を意味する通称で、本名は不明。本名は一幡とする説があるが詳細は不明(ちなみに妹乙姫は三幡姫とも言われている)。
6歳の時に頼朝と対立した源義仲との和睦のため、鎌倉へ人質として送られた義仲の嫡男・義高と婚約する。親の思惑が仕組まれた婚約であったが、大姫と義高は兄弟のように仲むつまじく、特に大姫は未来の夫となる義高を慕っていた。
しかし、義高の父親である義仲が頼朝との争いに敗北すると状況は一変。頼朝は、利用価値のなくなった義高を殺害する事を決意。侍女たちから知らせを受けた大姫は、明け方に義高を女房姿にさせ、侍女たちが取り囲んで邸内から出して鎌倉を脱出させる。だがそれを知った頼朝は激怒し、部下に追撃を命じた。
義高は潜伏していた場所で藤内光澄によって捕らえられ処刑。しかし、光澄は義高の首を大姫の住む屋敷まで持って頼朝に報告。それを知った大姫はショックのあまり水も喉を通らなくなり、憔悴して病気になってしまう。
政子は大姫の病の原因が義高を討ったためだと頼朝に強く迫り、藤内光澄は晒し首にされた。
この事件によって7歳であった大姫の心は深く傷つき、義高への思いに囚われては床に伏す日々が続いた。
17歳の時に従兄弟の一条高能との縁談話が舞い込むが、亡き義高を恋い慕う大姫は「そんな事をするくらいなら深淵に身を投げる」と拒絶。頼朝はそれ以上縁談を進めることをあきらめる。
その後、頼朝は大姫を天皇のもとへ入内させようと画策したが、大姫の病が悪化したことにより実現することはなかった。
両親はあらゆる手を尽くして、寺院に病気平癒を願ったが、大姫は病から回復する事なく建久8年7月14日(1197年8月28日)に死去した。享年20。
大河ドラマ『草燃える』では
政子がもう一人の主人公としてクローズアップされている本作だが、大姫についても、大姫と義高の交流を含めて、幼少時から大姫について丁寧に描かれている。川で溺れかけた大姫を義高が助けたり、義高の死後は両親を淡々と恨む様子が描かれるなど(政子は義高を助けようと尽力していたので、政子に対する恨みは大姫の逆恨みなのだが)、義高との描写が強く描かれて悲しくも一途な姿が描かれている。
政子の娘だけあり、静の子供を殺した頼朝を罵倒したり(見かねた政子が平手打ちをして大姫をたしなめるほど)、気性の激しさも見せていた。
原作ともいえる小説『草燃える』でも、ドラマで描かれなかった大姫の心情が切々と描かれていて、病気が重くなった大姫は政子に、父頼朝が自分の入内の話が一門の誉れと喜んでいるので入内を拒否できなかったため、仏に自分をお召しください(死なせてください)と祈ったことを告げて、「私が死ねば入内の話はなくなります」「私は義高様の元にいけます」「今はただ許すとおっしゃって…」と政子の愛を知りながら受け入れられない自分を詫びながら死んでいった。
しかし同小説の改訂版『北条政子』では、ページ数の都合からか、上述の場面は台詞とともに大幅にカットされている。大姫ファンは『草燃える』の方を読むのをおすすめする。
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では
母政子と共に義高助命を父頼朝に懇願し、愛娘大姫の訴えに頼朝が折れて、出家を条件に義高助命を受け入れられるもの、時すでに遅く、義高は討ち取られてしまった。その後は心を固く閉ざしてしまった様子が描かれている。
義高死亡回では、大姫が義高に贈った毬の紐が刀の鍔にからまり刀が抜けず、そのせいで義高が斬られてしまうなど、さりげない部分にも悲劇性が描かれている。
大姫を扱った作品
- あの日見た桜(スクウェア・エニックス)
- ひとさきの花 藤野もやむ短編集 ブレイドコミックス(マックガーデン)※あの日見た桜のリメイク版
- 夢鏡(ゆめのすがたみ) 義高と大姫のものがたり(コバルト文庫)
- 鎌倉盛衰記<一>海に眠る 義高と大姫(コバルト文庫)
余談
この人物とは真逆で、死んだ婚約者を一途に愛し、頑として別の男性を受け入れなかった珍しい姫君(武家の姫の在り方としては彼女が正しく、大姫は異端なのかもしれないが)。その悲しいまでの一途さに、歴史ファンからは人気が高く、昔からファンアートも描かれていた。
関連タグ
千姫:父や祖父によって愛する夫を殺されたが、こちらは、その後、別の男性と再婚して子供までもうけている。