特に三型が有名である。
最大速度は630km/hにもなり、陸軍最速である。特に三型が有名である。
(イラストは2型)
通称は百式司偵、百偵、百司、「ヨンロク」(キ46なので)と呼ばれた。
連合軍のつけたコードネームはダイナ(Dinah)。
また、前線の兵士にはビルマの通り魔、地獄の天使、空のユリ、写真屋ジョーとも。
陸軍最速の偵察機
初飛行は1939年11月。
最初の試作機(キ46)の最高速度は540km/hの高速を記録した。
だが要求仕様は『600km/h以上』だったので、陸軍は採用をためらった。
対する三菱(開発元)は、引き続きさらなる高速を追及するという条件を提示した。
1940年(皇紀2600年)、キ46は『百式司令部偵察機』として仮採用される事となった。
皇紀2600年
この年に採用された機材に関しては、陸軍・海軍で名称が違う。
海軍では「零式」だが、陸軍ではこの「百式」という呼び方を使った。
実戦について
仮採用となった百式司偵はさっそく戦線に投入された。
1941年3月に初飛行した二型は最高速度604km/hを記録した。
12月には太平洋戦争が開戦し、全ての戦線で活躍している。
陸軍のみならず海軍にも協力し、日本の戦略偵察を一手に担い続けた。
1943年3月、エンジンを改良して空力を改善した3型が登場。
最大速度は630km/hにもなり、陸軍最速である。
のちに排気を推進力に変換できるように改良し、さらに12km/h程度の向上に成功したようだ。
1944年5月、迎撃機として20㎜機銃を機首に装備した三型乙が登場。
さらに37㎜砲を斜め銃として追加した三型乙+丙が登場した。
武装について
後部座席には7.7mm機銃(イギリス製ルイス機銃のコピー)を搭載することも可能である。
だが偵察機として何より重要なのは高速であり、
取り外すべき重量物の筆頭として、真っ先に降ろされる事も多かったようだ。
もちろん、迎撃機として改造された三型乙などは機首に20㎜機銃を装備した。
松本零士の百式司偵
主役になる事は少ないものの、脇役としてはたびたび登場している。
ただし、当時の日本軍の象徴として、
『エンジン不調で撃墜される』
『待ち伏せされて、コマに描かれる事もなく撃墜』
などの不憫な扱いをされる事も多い。