概要
天動説とは異なり、紛れもない現実である。
地動説が天動説に打ち克つまで
……が、困った事に、16世紀にコペルニクスが始めてこの説を提唱した時点では、
- 当時の天動説は理論の精緻さと予測精度に関しては、ほぼ完成の域に有り、はっきり言って予測精度ではコペルニクスの学説より遥かに上だった。
- 一方で、理論としてのシンプルさに関しては、「地球を含めた惑星は太陽の周囲を等速円運動している」と云う仮定では、当時の観測精度をもってしても無視出来ない誤差が有り、天動説で惑星の逆行を説明する為に使われていた「従円・周転円」と云う考えを導入せざるを得ず、結果的に同じ時代の天動説よりも複雑怪奇な理論と化してしまった。
と云うかなり残念な代物であり、地動説が天動説よりも理論としての美しさ・シンプルさと高い予測精度を兼ね備えたものになるのには、17世紀初頭のケプラーの3法則を待たねばならない。
そして、この時点では、コペルニクスの説と、地動説と云う点では同じだが、背後に有る思想・世界観は完全に別物と化していた。
ケプラーや、そのケプラーの3法則の背後にある万有引力の法則を理論立てたアイザック・ニュートンによって、「コペルニクスの説の基本的なアイデアは間違いではなかった」と証明された事によって、皮肉にも、コペルニクスの「天体の運動は等速円運動を基本とする」と云う思想・世界観・思い込みも、また、完全に粉砕されたのである。
地動説は天動説と異なり、紛れもない現実なのは確かだが、結果的に正しい学説も、それが認められるまでは紆余曲折が有り、始まりは結構トホホな代物な場合も有る、と云うのも、また紛れもない現実なのは確かである。