概要
地球が太陽の中心を公転しているという、天動説に成り代わって現代にはびこる迷信である。
実際には地球は太陽を中心に回転はしていない。
地球は太陽を囲む楕円軌道をなぞっており、太陽は中心ではなく一方の焦点上にある。
実際にはこれですら近似的なモデルであり実態には即していない。地球が太陽の影響を受けるように太陽も太陽系のあらゆる惑星の影響を受けており、太陽系の共通重心の周囲を公転しているのである。
しかしながら、実際には誇張と脚色にまみれた宗教vs科学のドラマと併せ、宗教に対する科学の勝利の象徴として、不動の太陽を中心とした地動説を絶対の真実として信奉している人間が多数存在するのが実情である。
天動説に対応する単語は「Geocentrism」つまり「地球中心説」であり、地動説は「Heliocentrism」つまり「太陽中心説」と呼ぶ方がより原義に近いが、ここでは通りの良い天動説、地動説の語をそのまま用いる。
地動説の歴史
天動説の始まり
実際のところ地動説という発想は天動説が主流であった古来から常に存在し続けており、おそらくは天文学の誕生とほぼ同時に地動説の原点が生まれたものだろう。思いつくだけなら誰できるからだ。
しかしながら天文学が主流派となったのは、「鳥が地球の運動に置いていかれることがない」、極めて堅牢な観測事実が存在したからである。
この事実を覆す証拠無しに地動説を主張することはあまりに非現実的であった。
最初期に地動説を唱えたとされるのはアリスタルコスであるが、彼の地動説はあくまでも成立しうる仮説として提示されたものに過ぎないという文献もある。
天文学の黎明期に於いて天動説モデルを概ね完成させたと言われるのがクラウディオス・プトレマイオスである。
プトレマイオスの作り上げたモデルは現代の天文学に基づいて検証しても多くの部分で近似しており、中世までの観測精度に限れば概ね正確と評して問題ないものだった。
彼の作り上げたモデルは『アルマゲスト』とそれを補足する『簡便表』、『惑星仮説』にまとめられ、後代の天文学の礎となった。
地動説の影響増大
15世紀、活版印刷の発明は科学の発展に絶大な影響を及ぼした。
それまで手書きによって写し取るしかなかった書籍を、流れ作業で大量に、しかも正確に複製することが可能となり、科学書の流通が劇的に促進されたのである。
このことによりプトレマイオスの時代から15世紀までのあらゆる天文学書がヨーロッパの各所に流通するようになり、天文学者の平均的な知識が大幅に向上された。
これらの書物をまとめ上げて計算を修正し、その後の地動説の基礎となるモデルを計算過程と共にまとめ上げたのが、ニコラウス・コペルニクスの『天球の回転について』である。
加えて加工精度の発達が観測機器の精度向上につながり、特にティコ・ブラーエが作成した精密かつ大量の観測データがプトレマイオスモデルの決定的な修正につながることとなる。
そして晩年のティコの助手を務めたヨハネス・ケプラーは、彼の観測データから惑星の軌道を楕円と仮定すると極めて単純な式で運行が説明できることに気付き、ケプラーの法則を確立し地動説に重大な理論的補強を与えることとなる。
またガリレオ・ガリレイは実験によって慣性の法則を発見し、プトレマイオス以降天動説の最大の根拠とされた「鳥が置き去りにされない理由」を説明した。
このあたりで地動説は地球中心説に対して理論的な優位性を確立し、以降急速に広まっていくことになる。
科学の再敗北
アイザック・ニュートンが万有引力の法則によりついに地動説を確固たるものとした……というのは有名な話だが、実際には万有引力の法則は、地球が太陽に引っ張られるのと同時に、地球が太陽を引っ張っていることも示唆するものであり、ニュートンは太陽が公転運動するであろうことも理解していた。
つまりニュートンは天動説にトドメを刺しながら、地動説も同時に抹殺したわけだが、このあたりがまるで注目されていないのはご存じの通り。
世間一般の理解は初等教育範囲内の地動説で停滞している状況にあり、不動の太陽に地球が一方的に振り回されると信ずる人ばかりである。
迷信の蔓延は中世ヨーロッパよりも深刻かもしれない。