概要![編集](https://s.pximg.net/source/dic/images/icon_edit_partial.svg?20120424)
火薬と羅針盤に並ぶルネサンス三大発明の一つ。...なのだが、どれも起源は中国にある。
同じ文章を大量に紙や木簡などに示すには、手書きで写すという方法ではムリがあるため、「判子を作ってスタンプのように押すことで記録しよう」という発想が出た。たしかに浮世絵のように一枚一枚全部丁寧に彫ればいくらでも作り出せるが、それでは彫り台を創るのにあまりに時間がかかる。そんなわけで、字のスタンプを大量に作って、それを組み替えることで文章を創ればいいじゃないか、という考えが起こった。これが活字の始まりである。
歴史![編集](https://s.pximg.net/source/dic/images/icon_edit_partial.svg?20120424)
北宋時代の11世紀半ばに畢昇という人物が「陶活字」を使った印刷を行なった記録があり、これがか確認できる世界初の活版印刷である。13世紀には朝鮮半島の高麗王朝に活版技術が伝わり、これが金属活字に発展する。朝鮮王朝では国家事業として金属活字による様々な印刷物の刊行が行われた。
活版印刷は、ヨーロッパにおいて飛躍的に進化を遂げることとなる。というのもアルファベットの大文字と小文字+数字+いくつかの約物(コンマ、ピリオド、ハイフンなど)の数十文字があればだいたいの文章は書けるからである。
1455年、ヨハネス・グーテンベルクがワイン絞り機を元に作り上げた活版台による聖書の発行が、ヨーロッパにおける文芸復興(ルネサンス)、宗教改革の到来に大きく影響を与え、以降写真植字(写植)が普及する20世紀まで書籍や雑誌印刷の主流を占める印刷方式として君臨することになる。
しかしながら、活字を1文字ずつ拾って並べて活版を作るのは手作業であり、途轍もなく手間がかかる(宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』内でジョバンニがやってたアレ)。これを劇的に改善したのが19世紀末に登場した自動鋳植機(じどうちゅうしょくき)である。キーボードで打ち込んだ文字を1文字ずつ(モノタイプ)、もしくは1行分まとめて(ライノタイプ)鋳造して文字のブロックを作ることができる機械であり、「第2のグーテンベルク」とまで呼ばれた革命的な出来事であった。その後、1970年代に写真植字機(写植機)が普及するとその座を譲ることになる。
日本では文字数の多さもあり自動鋳植機の普及は新聞など一部に限られ、それも第二次世界大戦後の1950年代になってからであった。昭和初期に写研が世界に先駆けて写植機を量産販売すると、欧米よりも早い時期から写植の普及が進んだ。