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写研

しゃけん

印字が写植だった時代、最大手だった書体&植字メーカー。メイン画像に使われているサークルカットの書体は写研の「ゴカール」。
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概要編集

写植時代の印刷業界で知らぬ者はいなかった写植機メーカー。1926年に石井茂吉と森澤信夫が設立した写真植字機研究所をルーツとする。かつては同根企業(森澤が写真植字機製作株式会社として独立起業)にしてライバルのモリサワと日本語写植システムの販売を二分していたが、印字品質に優れる写研が圧倒的に優勢であった。


しかし、書体と植字を自社で一体開発することにこだわるあまり、モリサワとAdobeの主導した書体のオープン化を拒否したことから、DTP化の流れに取り残される。現在では、「ガリバー」とまで呼ばれた過去の栄光が見る影も無い中小企業と成り果てている。


写植機の製造は終了したが、過去の電算写植機のサポートは細々と続いている(手動写植機は既にサポート終了)。DTPで使える写研書体は長年待望されてきたが、現在はモリサワと同社傘下の字游工房がOpenType化を進めており、第一弾となる「石井明朝」「石井ゴシック」がモリサワのフォントサービス「Morisawa Fonts」に組み込まれる形で2024年にリリースされた。2025年以降も、これらに続くラインナップを順次提供する予定である(後述)。


栄光編集

日本の経済絶頂期である1970年代から1990年代初頭は写研の黄金時代にも重なる。活版印刷時代には利用できる書体の数はごく限られていたが、写植では文字盤の切り替えで多彩なフォントが使える。写研は「スーボ」「ゴナ」「ナール」などの名書体を輩出し、モリサワ(写真植字機製作株式会社から1971年に社名変更)を突き放す。雑誌書籍をはじめ、漫画・アニメ・ゲーム関連の冊子、さらには看板道路標識などの公的な分野まで多く使われた。


1969年には日本初の電算写植機「SAPTON-A」を投入。CRT写植機、レーザー写植機と新機軸を矢継ぎ早に打ち出し、写植業界における技術革新を主導した。1987年には印刷量に応じて写研に使用料を払う従量課金制を導入し、その利ざやは大変なものであった。


「スーボ」の生みの親である鈴木勉が立ち上げた字游工房をはじめ、かつてのフォントデザイナーの間では「元写研」の肩書きがステータスになっていた。90年代以前にデザイナーなどの仕事をしていた人の中には「愛のあるユニークで豊かな書体」という写研の書体サンプルのフレーズに見覚えがあるという人も多いのではないだろうか(ちなみにモリサワは「美しい写植の文字でアッピール」だったが、写研のフレーズほど有名ではない)。


2020年代現在でもゴナなどの写研書体は駅名標や道路標識などでまだ姿を見ることができるが、新規採用は既になく、モリサワの新ゴUD新ゴや字游工房がデザインしたヒラギノなどへの置き換えが進められている。


没落編集

写研絶頂期の1988年、創業者石井茂吉の三女・裕子社長が経営幹部の多くを突如更迭し独裁的な経営体制を確立。翌1989年から鈴木勉らフォントデザイナーが続々と退職し、社内は空洞化する。写研の業績はMacでのDTPシステムの台頭が始まった1990年代中盤から急速に悪化したが、架空の売り上げを計上する粉飾決算で隠蔽した。だが隠し通せるものではなく1998年に発覚し、国税庁の査察により社内の地下金庫で現金約85億円の裏金が発見された。同年に写研の売り上げはモリサワに抜かれ、印刷業界の主役交代を印象付ける出来事となった。


裕子社長はDTPが主流となった2000年代に入ってからもデジタル化の潮流には背を向け、写研書体を自社システム以外にリリースすることを拒み通した。長い間自社サイトさえ立ち上げなかったことから、モリサワやイワタ、モトヤなどの書体オープン化に舵を切った老舗企業やフォントワークス等の新興タイプファウンドリーが台頭する印刷業界内で急速に存在感を薄れさせていった。かつては1200人以上の従業員を擁していたが、2000年の本蘭ゴシックの発表と最後の電算組版システムSingisの発売後は新規事業を一切行わず、寡占状態の時代に溜め込んだ膨大な内部留保金を食いつぶしながら業務を縮小し、フォントレンタルと過去の写植機のメンテナンスで食いつなぐ化石のような企業と成り果てた。


2011年にはようやく方針を転換し、DTPで使えるOpenTypeのリリースを表明。業界の注目を集めるが、写研にはすでにフォント開発の人材がおらず、挫折を余儀なくされた。


漫画でも2000年代にセリフ入れがデジタル化されて写研フォントが姿を消していった中、写植が2010年代初頭まで使われていたのが放送業界である。中には写研の書体目当てでプリキュアシリーズを見ていた人さえいるほど。


2018年、写研没落の全ての元凶であった裕子社長が逝去。埼玉県和光市にあった工場が解体され、他の遊休資産も売却されて、時代に一区切りがついた。


写研書体のオープン化へ編集

2021年、モリサワと共同で写研フォントのOpenType化に取り組むと発表。写植機の特許が出願された1924年から100年の節目にあたる2024年をめどに順次発売すると表明した。同年3月には公式コーポレートサイトが開設され(ドメイン自体は昔から存在していたが、Webサイトの開設は一切行われてこなかった)、書体見本や企業情報などが掲載された。5月26日に書体や写研・写植の歴史などを網羅的に掲載したアーカイブサイト「写研アーカイブ」が公開され、インターネット上において公式の書体見本や歴史にアクセスすることが可能となり、紙資料の一部の電子化・公開も開始した。


そして2024年10月15日、鳥海修(元写研・現字游工房)監修のもと、石井明朝・石井ゴシックの書体ファミリーの改刻版と、「写研クラシックス」として原字に基づいた書体100以上(ナール・ゴナの一部ウエイトを含む30書体)が、「Morisawa Fonts 新書体2024」の第一弾としてリリースされた(同時にモリサワの新書体である「はるかぜ」・「秀英にじみ初号明朝」・「A1ゴシック(簡体字・繁体字)」もリリース)。


関連タグ編集

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